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003:人工と自然がもつれる都市─3つの建築展をめぐって
池田剛介
Date: November 18, 2010
藤本壮介展:山のような建築 雲のような建築 森のような建築 | REALTOKYO
藤本壮介展:山のような建築 雲のような建築 森のような建築

建築展といえば、飾り気のないスチレンボードの模型が連なり、パネルやモニターで示された設計コンセプトと用途の説明を読まされる、そうしたイメージをもたれる方も多いのではないだろうか。外苑前からほど近い、ワタリウム美術館で開催されている『藤本壮介展:山のような建築 雲のような建築 森のような建築』では、「雲」が住居として示される導入部からして、その先入観は大きく裏切られることになるだろう。空中を漂い、常に形を変化させ、雨をもたらし、時に激しく雷鳴を響かせる雲。それは建築とまるで正反対の性格を持つ存在としてすら捉えられるかもしれない。

 

フロアを天井まで埋め尽くすかのように、長さの異なる透明ポリカーボネートの押し出し材がパズルのピースのように無数に組み合わされ、しかしその素材の薄さや透明感のためであろう、見る者への圧迫感はもたらさず、軽やかで流体的な雲の姿を印象づける。有機的な形体が生み出す空洞の中へと進んでみれば、乳白色のなだらかな坂が現れ、それが連続的に急斜面へと変化し、やがて明るく高く開けた場所が観客を迎えてくれる。

 

そこでは、何らかの特定の機能をあらかじめ与えられた空間がデザインされているわけではない。むしろ手頃な段差を見つけてノートをとったり、奥まった場所にできた隙間で休んでみたり、あるいは、子供や背丈の低い動物であれば楽に通り抜けられそうな空洞をくぐってみたいという誘惑に駆られたりもする。そうして雲の有機的な形体が人間の動きを触発しながらモノとヒトとの相互作用を生み出し、場所に潜在的な機能がその都度発見されてゆく。

 

上階へ進むと、やや小さなフロアに、床から突き出したり吊り下げられたりした大小様々な模型群がちりばめられている。それらの間をかき分けるように進み、それぞれの模型へと目を向けると、実現した代表作と並んで、アイデアの原型やドローイングもその周囲に遠く近く配されている。家型の構造体を積み重ねた形体を持つ「Tokyo Apartment」の付近には、ミニチュアの木を囲った透明のキューブをブロック遊びのように積み上げるアイデアが示され、人工と自然、あるいは建築の内部と外部といったものへの関心が実作品との繋がりの中で感じられる。そこから遠くない位置には、竣工したばかりの「武蔵野美術大学図書館」の模型が据えられ、内部と外部をめぐる問題は、ゆるやかな螺旋形をした本棚の配置によって、建築の内と外とをグラデーション的な連続において捉えるヴィジョンとして展開されている。

 

下階の雲の住居が「モノとヒト」の関係の中で立ち上がる、内と外とのあいまいな領域を形成していたのに対し、ここでは模型やアイデアといった「モノとモノ」の共鳴関係がつくり出される。無数の水の粒が集まり雲となって形を成すように、やがて建築物へと形象化されてゆく様々な発想が建築家の思考のネットワークを形成する様を見てとることができる。

 

石上純也展:建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか? | REALTOKYO
石上純也展:建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?
Photo by Ichikawa Yasushi

いったん美術館を出て、青山から銀座方面へと目を転じてみよう。資生堂ギャラリーでは、先日ヴェニス建築ビエンナーレで金獅子賞を獲得した若手建築家、石上純也による『建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?』が開催中だ。こちらでも藤本と共通する自然現象への関心を随所に見てとることができる。

 

「大きな家」では、住居は自然環境の変化から人間を守るためのものと考えられるのではなく、むしろ自然環境そのものをつくり出してしまうものとして提案されている。巨大な空間において雲が発生し、川が流れ、森が生まれる、内部にして外部であるような建築の姿。あるいは「雨の降る家」では、天井が高く伸びた空間において、建築内部で雨雲を発生させることで住居の内部に雨が降り続ける。ここでは建築物を極端に大きくしたり、長くしたりといった思考実験によって内部空間に自然環境をつくり出すことで建築と自然との関係性を問い直していく、独特のファンタジーに満ちたアイデア群が展開される。

 

これらはおよそ実現可能性からは遠いプランのように思えるが、そうしたアイデアは決して石上の建築作品と無関係に提出されているわけではない。壁を一切用いず305本の非常に細い柱と天井のみで構造を成している石上の代表作、神奈川工科大学KAIT工房は独自のCADを用いた綿密な設計に裏打ちされることで、柱がランダムに配されたかのような様を実現している。その模型が「森のような工房」と題されているように、開放性と変化とが織り合わされた自然環境への志向性を感じることができる。

 

CITY 2.0--WEB世代の都市進化論 | REALTOKYO
CITY 2.0–WEB世代の都市進化論/磯崎新パフォーマンス「孵化過程」

再び銀座から青山へむけて折り返しつつ原宿方面へと道を逸れると、商業ビルでにぎわうエリアの一角に位置するEYE OF GYREでは、藤村龍至率いるTEAM ROUNDABOUTのキュレーションによる『CITY 2.0–WEB世代の都市進化論』展が行われている。

 

藤本や石上がランドスケープへの関心を共有していたとすれば、ここで見られるのは「雲」にして「群れ」であるようなクラウド状のネットワーク環境、いわば情報のネットスケープへの関心だろう。近年の情報環境の発展をふまえた上で、建築そして都市はいかに変貌していくかを問う野心的な試みであるといえる。そこでは建築の内と外といった問題は後退し、むしろ資本主義には内も外もなく、すべてが情報アーキテクチャの平面上で生成と淘汰を繰り返してゆくような、やや殺伐としたヴィジョンが繰り広げられることとなる。自己生成する都市のダイナミズムを様々な形で議論してきた磯崎新による「孵化過程」(1962)、「海市」(1997)年が召還され、現代の情報環境のありようを映し出すクリエーターたちの作品と対置されている。

 

オープニング・レセプションの際には磯崎自身によるパフォーマンス「孵化過程」の再演が行われた。東京を捉えた航空写真がテーブルに貼付けられ、参加者はその上に釘を打ち込み、カラフルな針金を思いのままに張りめぐらせていく。もはや都市を全体的な視点から計画することはできないが、しかし無計画に人々の欲望を自走させればカオスに至る。そうしたジレンマの中で建築家は不可避な切断(決定)を強いられるだろう。パフォーマンスでは、観客によって生み出された針金のカオスに石膏を流すことで生成を断ち切り、それをもって都市に対する建築家としての態度表明を行うかのようだった。今回は、もはやそうした切断を個人の建築家の手によってのみ為すのでなく、周囲の人々にも石膏を流すよう促すことで切断を複数化した上、切断前には明治神宮周辺の釘を抜くように指示し、カオスの中には空白地帯が生み出された。

 

若いクリエーターの中で磯崎の試みをもっとも直接的に引き受けているように見えるpingpongによるプロジェクトでは、参加者はTwitter投稿の文字情報と発信位置によって、モニターに映された会場周辺地図に介入することが可能となる。複数の主体の行為が都市の上にネットワークを張りめぐらせる、アップデート版「孵化過程」と捉えることもできるだろう。

 

藤本壮介展:山のような建築 雲のような建築 森のような建築 | REALTOKYO
藤本壮介展:山のような建築 雲のような建築 森のような建築

再び原宿から表参道を抜けて外苑前まで戻り、藤本壮介展の最後のフロアに臨んでみよう。展示室全体に1/150スケールの東京の模型が広がる。無数の建物やビルボード、首都高や電線といった雑多なものたちがランダムに混在する東京。磯崎新による都市への態度には、そうしたカオティックな状況に対する強烈なシニシズムが否応なく感じられるが、藤本はそのようなシニシズムとは無縁であるようだ。雑然とした都市の中から、別様に雑然とした、もう一つの都市が描かれる。家のような多面体が縦横無尽に連結され、あちこちから木が伸び出し、ひとつの集合体を成しながら浮遊する、未来の「都市」の姿。

 

ここでは建築物がビルのように垂直にではなく平屋の集合のように水平にでもなく、「斜め」に連結されており、それによって大小様々な隙間があちこちに生まれ、木々が不均質な高さをもって生え出ることが可能となる。都市の中のランダムな木々。それは人工と対置し得るような無垢の自然とは異なり、人間の日々の営みや建築物との相互作用——というよりも相互浸食を生み出していく「不純な自然」の姿である。そしてこの「不純な自然」によってこそ都市もまた、人工の純粋化というべきカオス状態とは異なる「不純な人工」へと向かうこととなるだろう。そうした人工と自然との相互浸食がいかなるものか、今回の展覧会で具体的に見えてくることはない。しかしそこには都市空間における人工と自然との関係を大胆に捉えなおすチャンスが潜んでいるように思われるのだ。

 

自己生成する都市を自然によって不純化すること。それはもはや都市の慌ただしい流動に、ひとときの安らぎをもたらす自然ではあり得ない。より徹底して都市に根を張りめぐらせ、時に情報ネットワークを遮断し、その誤作動をすら招きかねないような別のリゾーム・ネットワークとしての自然である。複数の異なるネットワークの中から不可避的に巻き上がるネットの「もつれ」。そこに立ち現れる、いや、立ちもつれ続ける都市は、マスタープランに基づく整然でもなく、純粋に人工的なカオスでもない、都市かつ森であるような不純な混成体として、ヒトが住まう場の新たな姿を結像させることになるのかもしれない。

 

イベント概要

藤本壮介展:山のような建築 雲のような建築 森のような建築

日程:2010年8月14日〜2011年1月16日

会場:ワタリウム美術館

 

石上純也展:建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?

日程:2010年8月24日〜10月17日

会場:資生堂ギャラリー

 

CITY 2.0–WEB世代の都市進化論

日程:2010年9月18日~10月24日

会場:EYE OF GYRE

寄稿家プロフィール

いけだ・こうすけ/1980年福岡県生まれ。美術作家。主な個展に『Plastic Flux』(Lower Akihabara)、『GoldfishPicture』(Voice Gallery)など。制作活動と平行して文章の執筆やシンポジウムへの参加などを行う。趣味は口笛。kosukeikeda.com