
日程:2010年8月24日〜10月17日
会場:資生堂ギャラリー

緻密に、精巧に作られたいくつもの模型やドローイングが並ぶ。建築の専門的な知識を持ち合わせていなくても、観客がその世界観に引き込まれるには十分なクオリティの高さだ。実際、まるで絵本の1ページのような佇まいのそれらの模型を見ていると、石上純也の世界や空間に対する優れた想像力が伝わってくる。だが、模型に添えられたテクストに目を通せば、その想像力が技術的な器量や建築に対するコンセプトに裏打ちされ、強い説得力を手に入れていることがわかるだろう。言わば、それは「建築的想像力」とでも呼べるものかもしれない。

石上の想像力は、建築を「建造物」という実体性のあるものではなく、空間を変容させるための布石、あるいはきっかけとして捉えることに向けられているように思う。「big patio」では、草原を囲い込むように並んだ家々がひとつの輪を形作ることで、屋外の自然は中庭として生まれ変わる。また、「山の展望台」では、斜面全てが段々のステップになっており、人が通るための「道」とその外側という区分は存在しない。山はそのまま建築物のように機能し、「建築を考えるようにランドスケープを作る」ことが企図されているが、それと対をなすような「人があつまる崖」では、ビルの各フロアに棚田のように屋外テラスを設置し、 崖のような建物の側面は人々が集う場となる。
さらに、「敷地」という領域をヒントに着想されたプランも興味深い。「plot&houses」では、敷地を不動の与条件とはみなさずに住宅と等価にデザインしていくことで、建築物と外部空間の新しい関係を作る試みがなされている。ひとつの小さな谷を敷地に見立てて住宅を建てる 「small valleys」や、海の中に輪状の壁をおいて周囲の水を塞き止め、そこを新しい敷地にしてしまう「海の中の環境」は、建築と周辺環境の狭間に存在するレイヤーとしての「敷地」を掘りおこすことで、内部と外部の関係性を新たに取り結ぶための思考実験がなされているように思える。
一方で、その方法論は建築の実体性そのものも変えてしまう。例えば「大きな家」では、その極端な巨大さゆえに建築物の内部にひとつの自然環境が発生するというアイデアが描かれている。家の中に雲ができたり、雨が降ったりすることによって、「建築物の内側に内部空間のスケールを超えた空間を作りだ」し、 建築物はその実体において異なるものへと変容することになる。
だが、建築のあり方を広げていくようなこれらのアプローチは、決して外側に領域を拡張していくことに終始しているわけではない。展覧会のタイトルからもわかるように、そして粒子をキーワードに制作されたいくつかの作品からもわかるように、それは小ささに向かっても広がっていく。そして、あらゆるスケール感覚を横断しながら広がり続ける石上の「建築的想像力」を集約的に表しているのは、「雲のかたち」であろう。微細な粒子の集合であると同時にひとつの大きな固まりである雲というモチーフは、輪郭の定型/非定型、スケールの極小/極大、空間の内側/外側という石上の関心領域を透かして見せつつ、その想像力を投射するのにうってつけのスクリーンであるはずだ。「雲のかたちから、新しい空間や建物を想像するのは楽しい」という本人の言葉が、それを示しているように思う。

その場を取り囲む自然環境や、そこに住む人々の営みに、建築という方法で新しい息吹を与えること。水たまりに絵具を垂らすと徐々に全体が色に染まっていくように、それは周囲に少しずつ広まり、空間を緩やかに変容していくのだ。本展に並べられた模型の柔らかな表情も、世界に対する石上純也の繊細な手つきそのものに由来している。そのように考えてみたい。
寄稿家プロフィール
おおやま・えんりこいさむ/1983年、東京生まれ。美術家。ペインティングやインスタレーション、壁画などの作品を制作、発表している。主な展示に「FFIGURATI」(con tempo, 2009)、「memento vivere / memento phantasma」(旧在日フランス大使館, 2009)、「InsideOut of Contexts」(ZAIM gallery, 2010)、「あいちトリエンナーレ2010」(名古屋市長者町, 2010)など。www.enricoletter.net