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045:from Tokyo - 壊れた生、交わるもの語り=歴史 ──「空想する都市学」における再-領土化の風景(東京より)
F. アツミ
Date: November 01, 2014

「空想する都市学――空間の再配分 フィールドワーク」(キュレーター:葉 佳蓉=ゾイ・イェー/共同キュレーター:後藤桜子)が2014年7月5日~21日、アーツ千代田3331(東京都千代田区)において開催され、その後(同年9月27日~11月2日)、TKG+Projects(台北市内湖区)に巡回した。東京と台北の2都市のフィールドワークをもとにして、7名のアーティストたちによるリサーチのプロセスから作品展示までを紹介する試みは、地理的には離れている2つの都市風景を対話/交渉のプロセスのなかで融合させることで、穏やかな、しかし熱をもった特異な都市風景を現出させた。

 

 

日常の生活空間にありふれた既製品のなかに情報化される都市空間の面影を織り込んだ「Frame Unit」(小林史子)では、本という紙とインクからできた文字と記号のアーカイブに人体の解剖図や建造物の写真がトリミングされて差し込まれ、金属製の工具が暴力的に組み合わされることになる。身体のイメージは崩壊し、情報と物質の間で揺れ動く人間のありようが、群像として、あるいは標本のように陳列されている印象を与える。

 

「Frame Unit」(小林史子)| REALTOKYO

観客への理想の家に関するアンケートに基づいて建築模型をつくる「ホーム・プロジェクト」(王 建浩=ワン・チェンハオ)では、雑誌や広告などのマスメディアから抜き出された商品のイメージは、梱包箱の内側に切り貼りされ、高く積み重ねられ、いまにも崩落しそうな高層住宅群となる。消費者の多様な欲望を記録したビッグデータによるマーケティング・システムは、耐えることなく流行の風を起こし、情報資本主義の過剰な生産と廃棄のプロセスを駆動している。

 

「ホーム・プロジェクト」(王 建浩=ワン・チェンハオ)| REALTOKYO

情報資本主義を体現したかのような高層住宅群から見下ろしたところに、デモ運動をポップなユーモアとともに展開する「チェアマン」(料理最前線=クッキング・アット・フロントライン)の多機能イスをもった人々の姿に出遭うのかもしれない。廃棄された日常品を拾い上げ、身体訓練を行い、路上の草木から料理をつくり、熱気を帯びた饗宴の席をつくること。グローバリゼーション下における経済的発展に対する生存権を賭けた闘争の契機は、最安値のコストで実現する創意とともにある。

 

「チェアマン」(料理最前線=クッキング・アット・フロントライン) | REALTOKYO

抗議と統制の力がひしめく都市空間から逃走すると、舗道や駐車場の一角、空地や廃屋、河川敷沿いなどには、仮設シェルター(シングル・タイプからファミリー・タイプまで)としての「フローティング・ホテル」(溫 鈞揚=ウェン・ジュンヤン)を見つけられる。デモ運動の潜伏先として、または流動化する労働市場からの撤退先として、ホームレスと化した人々の一時的な避難所はハンモックや布団とともにあらゆる場所に姿を現し、予期せぬ出遭いの場となる。

 

「フローティング・ホテル」(溫 鈞揚=ウェン・ジュンヤン) | REALTOKYO

居住空間の収奪と供給という都市開発の暴力的な側面は、「『木の銀行』からのリフレクション:土地に根付くアイデンティティを呼び起こすためのプロジェクト」(許 家榕=シュウ・ジャロン)での子どもとのワークショップのなかで、注意深く記録されている。ドーム建設や小学校の新設にともない強制的に移植される樹木に、生存権を剥奪された人々の姿を重ね合わせることで、急速に変容する都市空間のなかで翻弄される人々の生のあり方が問い直される。

 

「『木の銀行』からのリフレクション:土地に根付くアイデンティティを呼び起こすためのプロジェクト」(許 家榕=シュウ・ジャロン) | REALTOKYO

「12日間の日記―台北『サンセルフホテル』企画書」(北澤 潤)では、台湾市内の南機場団地における一夜の宿泊アートイベントとして、有志の住民が“ホテルマン”の役割を担い、空室に宿泊客を受け入れる。宿泊客は“異邦者”となって、“ホテルマン”を介して、現地の人々と遭遇することになる。東京近郊の井野団地に端を発する地域住民との協働プロジェクトは、ホテルで交わされる太陽と生活をめぐる対話をとおして、新しいもの語りを紡ぎだす。

 

「12日間の日記―台北『サンセルフホテル』企画書」(北澤 潤) | REALTOKYO

東京と台北、2つの地図を1つにつなげると、「与えろ/貰え/放っておけ(台北-東京)」(西澤諭志)のビデオが映写するように、時代錯誤的で、しかし同時に近未来的でもある奇妙な都市風景を見ることができる。台北の映像で語られる音声は日本語の字幕に、東京の映像で語られる音声は中国語の字幕に翻訳され、シナリオを逸脱する。不条理性を帯びたもの語りは言語的な説明を超えて、人物、仕草、音声、もの、それぞれが自律的に運動を始める。

 

「与えろ/貰え/放っておけ(台北-東京)」(西澤諭志) | REALTOKYO

 

グローバリゼーションの脅威が増大し、東アジア地域の勢力均衡の体制が変わりつつあるなかで、本展示で示される東京と台北の都市風景の交錯は来るべき交通のスケッチを提示している。アメリカや中国といった超大国に直面する小さな島国、台湾と日本の首都の表象空間をとおして見えてくるのは、既存の身体/空間の関係性の崩壊と同時にやってくる、言葉とイメージの共振から生まれる世界への予感、あるいは新しいもの語り=歴史への回廊だろう。

 

ある世界、国家、都市、住居、そして部屋のなかで、ディスプレイの前に座り、都市や身体の鍵語を検索すると、イメージはウィンドウ/フレームの増殖とともに拡張し、拡散し、ピクセルでできた表層の向こうにある別の部屋、住居、都市、国家、世界へと浸透していく。「Frame Unit」で切り抜かれ、束ねられた人間-都市空間のキアスムは、「ホーム・プロジェクト」で組み立てられ、積み重ねら、運ばれ、捨てられていく人々の夢見る幸せな書割りへと変換されるのかもしれない。

 

幻想と摸像でできたバベルの塔を追われた人々は、蜘蛛の子を散らしたように都市を駆けめぐる。繰り返されるシュプレヒコールは、ソーシャル・ネットワーキング・サービスをとおして政府への発言力を増していく。「人民の声を聞け!」「自由を私たちに!」。人々に配られる路上生活の手引き「チェアマン」は、現代のプレカリアートの福音となる。現代の無政府主義者のための「フローティング・ホテル」は、忘れられた革命の夢を再び見させるだろうか。

 

本展示に先立つ数ヵ月前、国会議事堂周辺(東京)での脱原発のためのデモ運動と立法院(台北)での反サービス貿易協定のためのデモ運動が行われた。フレームの外、遠くに感じられる喧騒と動乱の気配につつまれて、「与えろ/貰え/放っておけ(台北-東京)」の登場人物たちは、お気に入りの服を買い、テレビゲームに熱中し、白い部屋のなかで言葉を交わす。東京と台北の都市風景のなかで、若者たちの日常の政治がそれぞれに異なる仕方で反復される。

 

2014年上半期の日本アートシーンに眼を向けると、情報資本主義を舞台にして新しい創造の試みが見られる。カオス*ラウンジはイメージの無限更新によりオリジナルを融解させ、渋家はシェアハウスのなかでクリエイティブな群れの生活を楽しむ。遠藤一郎は日本全国の希望をつなぎ、坂口恭平は勝手に独立国家を宣言する。潘 逸舟(=ハン・イシュウ)は日中間の航路に生の記憶を重ね合わせ、丹羽良徳はポスト共産主義時代の交換様式を支える感性を活写している。

 

あるいは、アジア・アナーキー・アライアンス(キュレーター:呉 達坤=ウー・ダークン[台湾])は、中国やアメリカといった超大国と日本や台湾といった周辺国からなるアジア・太平洋地域における秩序体制の青写真かもしれない。「『木の銀行』からのリフレクション:土地に根付くアイデンティティを呼び起こすためのプロジェクト」で見られる子どもの対話、小さなもの語り(物語=歴史)からつくられた枝葉の居住空間は、アートを媒介としたエコロジーの萌芽を予感させる。

 

20世紀後半に量産された国民的な日常生活は、情報資本主義の波に砕かれるかのように散逸し、人々は波に浮かぶ泡のように群をなして、消えていく。10年ほどむこうに広がる多死の時代を見すえて、大きな政治の歴史は小さな個人のもの語り=歴史へと書き換えられていく。東京近郊の井野団地と台北市内の南機場団地をつなぐ「12日間の日記―台北 『サンセルフホテル』企画書」は、その多文化的な視点とともに目前にある移民社会のための習作になるだろう。

 

 

東京と台北、4時間に満たない飛行旅行と半世紀の歴史はアートスペースで出遭い、東アジア地域の一つの協働都市となる。情報資本主義とともに拡張するインターネット空間において解離し、脱領土化された日常空間は、忘却され、切断され、別のしかたで接続され、構成され、再-領土化されていく。東シナ海に浮かぶ2つの島嶼国家は、中国大陸を前にどのような連携をとるのだろうか? アーティストたちが空想する都市学は、ものと言葉をとおして交わされる語りとともに、流動する情報資本のなかで壊れていく個人の生と終わることのない歴史の過程を描き出し、新しい時代へと開かれている。

寄稿家プロフィール

F. アツミ:編集/批評・Art-Phil