

昨年12月30日に急逝した大瀧詠一は、あらゆるものを広く深く探究した人物であり、知の巨魁とでも呼びたい存在であった。宮沢賢治や南方熊楠と並ぶ守備範囲と深度といえばわかりやすいだろうか。中でも彼が音楽というジャンルでどれだけの高みに到達していたかを体感できるのが、彼自身が作曲・プロデュースした作品である。
松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」など威風堂々たるスタンダード・ナンバーとなっている曲もいろいろあるが、彼自身「歌手」としての役割も演じてその技巧の凄さを見せつけてくれるのが「大“滝”詠一」名義のソロ作品である。
自分の作品が現役のポップスとして何年後まで耐えられるものか、そもそも何をもってそれを証明し得るのか。彼が考案したのは20年後、30年後にリリースしていくという方法だった。世間の反応やチャートまで、天下に知られる状態で公開検証するわけだから、大恥をかく結果になるかもしれず、実に漢(おとこ)らしいアイデアでもあった。
このプロジェクトは「彼のリマスターの腕前を賞味する」という新たな作品形態の呈示でもあり、2001年から2014年まで続いた。
結果は、この数十年間で聴き手(我々)の耳が少しばかり向上したこともあり、「現役として通用するか」どころか「これはもう誰も超えられない」とますます圧倒されるばかりだった。当然チャート的にも初リリース時より好成績をあげる結果となり、堂々と数字のうえでも立証してみせる結果となった。「数字がない状態でクオリティを訴えるのは、論としては弱い」と語っていた彼は、作品創作者の顔だけでなく、その解説者、検証者も務めることができた稀有な人物だった。
本作『EACH TIME』は彼の最後のソロ・アルバムであり、それゆえにこれが30周年プロジェクトの完結編となることは誰もが知っていた。それにしても突然の逝去にもかかわらず既に完成させており、プロジェクトを見事に完結させた事実はあっぱれとしか言いようがない。大瀧詠一はレーベル・オーナーとしても最後まで見事だった。
彼の作品は、それを繰り返し聴き込んできたファンですら年齢を重ねるにつれ「この部分にこんな意味があったとは」という発見があり、その豊潤かつ重層的な音宇宙の探求を楽しむ人は増える一方だ。彼のレーベルはナイアガラ(大きな瀧の意)という名前なので「ナイアガラの滝の流れは同じに見えても常に異なり、その滝壺の深さたるや未だ計測不能、その魅力にハマったらもう抜けられない」というのは、ファンの間では常識である。
80年代、ある雑誌のインタヴューで「次はいよいよ海外進出ですか」と問われ、彼はこう答えていた。「地球のある地域で受けたからどうだとか、そんなもの宇宙から見れば何の意味もないことですよ」。近視眼的な名声などにまったく興味を持っていなかった。それゆえ晩年、この『EACH TIME』以降アルバムを作らなかった理由を「実践期を終えて解説期・検証期へと移行したため」と明かしている。「どれだけ経ったら『次回作はいつですか』と訊かれなくなるか」を楽しみ、「『あの人はライブをしない』というのはさすがに結構早いうちから定着してくれたけどね」と苦笑していた。
先述のとおり、音楽家は彼のひとつの顔にすぎない。名声に興味がないからこそごく親しい友人知人にのみ発表していた、幾多の研究成果を世間が知ることになれば「同一人物が多種多様なジャンルでここまで深いレベルに到達できるものか」と圧倒され、とてつもない規模での再評価が起こるだろう。それが10年後か100年後かは不明だし、そんなことがあろうがあるまいが彼にとってはどうでもよいはずだ。大瀧詠一を知らず、この文章を大げさだと思う方は幸せだ。その何たるかを初めて知る喜びがまだ残っているのだから。
インフォメーション
大滝詠一『EACH TIME 30th Anniversary Edition』
特設サイト:http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/EACHTIME30TH/
¥2,700
2014年3月21日発売
SRCL8005-6
寄稿家プロフィール
みやなが・まさたか/1960年生まれ。ビートルズのオーソリティとして「コンプリート・レコーディング・セッションズ」日本版監修、ポール・マッカートニーや小野洋子インタビュー、ジョン・レノン・ミュージアム展示品解説など手がける。大瀧氏との仕事では「レッツ・オンド・アゲイン」(細川たかし)、「うれしい予感」(渡辺満理奈)、「針切じいさんのロケンロール」(植木等)をオーガナイズ・プロデュース。自身の出演していた「オールナイトニッポン月曜1部」でも大瀧氏をゲストに招いた。大瀧氏の活動を世に啓蒙する活動は、80年代『りぼん』読者ページ“みーやんのとんでもケチャップ"時代から一貫して展開し続けている。 www.catchup.jp/b4univ/