
いつもの入り口はそっと閉じられ、そのガラス戸からは、数々の日本的な花の紅いモチーフが見える。眼に激しく飛び込む鮮明なレッドというよりかは、白い床に縁(ふち)が融けるような紅色の粉末で描かれているのが印象的だ。それを通り過ぎて、奥のドアから空間へと入っていく。靴を脱いで踏み入れたバーゼルplug.inギャラリーの空間は、いつもと違った壮大な白さに包まれていた。
2011年6月11日。世界最大規模のアートフェア、スイス 『Art Basel』よりも一足先に、キュレーター渡辺真也氏のオーガナイズするART-AID実行委員会によるこの展覧会は始まった。この日は、我々日本人の生きる認識さえ変えた東日本大震災からちょうど3ヶ月。氏は「この大災害を、アート作品を通して"現在を来るべき未来という視点から"見つめ、その未来への想像力を喚起することで、我々の現在を『希望を支える記憶』へと変容させる」ために、この日をオープニングに選んだという。

まず入った瞬間に大きな存在感を示すのはインゴ・ギュンターによる「Thanks a Million」という作品だ。日本列島を模した床のインスタレーションには、鑑賞者が松の木の種を持ち帰ることが出来るという仕掛けがほどこされている。今回失われてしまった東北地方の「白砂青松」と呼ばれた100万もの松を、世界に取り戻そうという試み。人々が種を植えることで、被災地と世界中が、頭の中だけではなくそれを育てるプロセスおよび実物の松を見る身体的体験で結ばれる。

次に、オノ・ヨーコによる「Wish Tree」。これは人々が自らの希望や平和への願いを書いた短冊を1本の木に吊るすという、彼女が90年代より行ってきた参加型の作品である。ドイツ語で書かれた「Lebe(生きよ)」、イタリア語で書かれた「Amore(愛)」、そして「For A World Without Tears(涙なき世界のために)」というメッセージが眼に飛び込む。ギュンターの作品が心に徐々に染み込んでいく参加型作品ならば、オノの作品は即時的に刻印される参加型作品と言える。

さらに奥の空間へと足を運ぶと、その先には、先ほど入り口で通り過ぎた紅い粉末のインスタレーションが見える。大巻伸嗣の「Echo – Eclipse of Life」という作品だ。眼に飛び込むその紅は間近で見れば見るほどに美しい。しばらくしてから、はた、と視線を上げる。plug.inギャラリーのいつもの窓が見える。そこから差し込む太陽光を形取るというやり方で、この鮮やかな紅い日本画岩料による作品はつくられている。1日のサイクルの中で、地球を照らす太陽の光と紅い日本の花々が重なる日食の如き瞬間。そして、そこに至る緩やかな時間の流れは記憶というものを多層的に認識させる。

記憶というテーマを、流動的な時間の流れによって示した大巻の作品の左に位置するのが畠山直哉の「Zeche Westfalen I/II」という写真作品だ。壊されることが決定したドイツ炭坑の写真をおさめた作品群。「儚さゆえの美しい記憶」という機能を帯びていた筈のこの作品が震災以後語るものは、まさに「非流動的で、固定された、過去」から未来を見つめることに他ならないと感じる。震災後の津波が畠山の家族をも奪い去ったという事実を、今このリポートを書いている瞬間に知り、ただ、筆が止まる。

現存の作家ではないものの、地下空間で上映されている1時間半におよぶヨーゼフ・ボイスの映像は、まさにこの展覧会の屋台骨だ。かの有名な「7000本の樫の木」プロジェクトへの支援を条件に行った日本での展覧会に付随する公開対話集会で、「今のこの時代、様々な社会的事象が過渡期にある。故に我々はもっと対話をしなければならない」と熱弁をふるうボイスの姿。彼の『人間は誰でも芸術家である』という言葉は、我々の住まうこの「社会全体」をひとつの彫刻として捉えるというところから生まれた。人々がそれぞれ生産的対話をし、そこからひとつの社会を作り上げる。そしてその社会を改善していくことによって、彼の/我々の「芸術」は完成する。だからこそ「人間は誰でも芸術家」とボイスは言った。様々なものが過渡期に来ている、と話した彼はその2年後の1月に逝き、同年4月にチェルノブイリでの惨劇が起こった。そしてこの2011年の現在、我々日本人に起こっていることは何か? ボイスとの対話はそれについて間接的に深く考えさせるものだ。人々の「生産的対話」が足りなかったからこそ、そこに何らかの不寛容や歪みがあったからこそ、我々の歴史の中で惨劇が起こっているのだ。私事ではあるが、筆者はバーゼルに旅立つ前に、音楽家の坂本龍一氏と少し言葉を交わす機会があった。坂本氏は周知の通り旺盛な社会活動でも知られる。千葉で震災を体験し、今は海外在住の筆者がその後の報道等で全てに戸惑っていた時、坂本氏に「我々作家に何が出来るだろうか」という旨、尋ねた。その中の答えのひとつが「人としてNOということ」であり、以来それは筆者の心に深く刻まれている。「人として」というキーワードと、ボイスの「人はみな芸術家である」というテーゼはここでひとつに繋がる。作家もサラリーマンも主婦も社長も皆「人として」対話を深め、一度は壊れたこの日本社会という彫刻を再度作り上げること。地下空間に存在したボイスとの1時間半で、筆者は今回のバーゼル訪問の意義を確信すらした。

筆者が最も衝撃を受けたボイスの1984年の映像を見たあの時間でさえ、今となっては「過去の記憶」でしかない。強調したいのは、展覧会趣旨にもあるように、我々の「過去の記憶」が「希望を支える記憶」になり得るということだ。様々な切り口と美しさを提供する作品群は、欧州の鑑賞者の心の中に入り込む。その出発点、そしてそのベクトルはいつも我々の震災の記憶へと繋がっている。この展覧会がこちら欧州で行われることの意義のひとつはここにある。ボイスの「社会彫刻は、我々人類の対話からより良いものにしていかなければならないし、より良いものに出来る」というメッセージは27年の時を経て我々に何を伝えるだろう。このリポートを読んでいるあなたにも、そのメッセージの一端や、作品群を通して喚起される想像力、そして、現在の日本から出発していく希望が少しでも伝わったなら筆者はうれしく思う。未来から見た「現在」を、世界の希望と共に見いだすことは出来るはずだ。
寄稿家プロフィール
いなお・しんご/1980年、千葉県生まれ。サウンドアーティスト、自作楽器奏者。国立音楽大学音楽デザイン学科、カールスルーエ国立造形大学(HfG)、ワイマール・バウハウス大学大学院でサウンドアートを学ぶ。オブジェ/インスタレーション展示、および世界に1台の自作センサ楽器「トッソ」を使った即興演奏のコンサートの両面から制作を行う。ドイツ・ベルリン在住。現在の活動詳細はこちらから。