
ベネッセ・アートプロジェクトが犬島でも第1期のお披露目をするというので、前日の4月25日に直島を訪問、その後、直島に行ったことがないという磯崎新を案内して6月14日にも直島を再訪することに。直島周辺にはこれまで何度も出かけており、とくに地中美術館のオープニングに招かれたとき田中康夫とこの地域の表と裏を短時間ながらかなり徹底的に見て歩いたことがあるのだが、これほど短期間に二度も訪れるのはさすがに初めてだ。
予想したとおり、磯崎新の全体的な評価はさほど高いものではなかった。地中美術館に見られるようにアートを擬似宗教化することで巡礼型の動員を図って成功しているという観察は当たっているだろう(最近も某誌が瀬戸内を舞台に「アートの聖地巡礼」という特集を組んだばかりだ)。
しかし、それはかまわない。われわれの第一のお目当ては大竹伸朗が家をまるごとコラージュの対象にした「はいしゃ」だったから。私は、2006年10月6日の「直島スタンダード2」第1期オープニングでこの作品がおおむね完成した状態を見ている。その後、東京都現代美術館の大竹伸朗(「全景」)展で巨大な吹き抜けに置かれていたあの「自由の女神」が、第2期になって「はいしゃ」の奥の部屋に入れられた。それを最近になってついにこの目で見た、というわけだ。
ついでに言えば、ちょうどその前に、勤務先の京都造形芸術大学で、サントリー学芸賞などを受賞した河本真理の『切断の時代』(ブリュッケ)に基づくシュヴィッタース論の講演を聴いていた、それと大竹を対比するのも面白いだろう。河本はバウハウスにシュヴィッタースの Merzbau (MerzがKommerz[商業]から来る一方、bau を巣穴[カフカ的?]というイメージでとることもできるという話は面白い)を対比する。私がコメントしたように、バウハウスはミース・ファン・デル・ローエのファーンズワース邸のような傑作を生み出したものの、その真似をしたフィリップ・ジョンソンの「ガラスの家」のように、実はほとんどメディア向けのディスプレーであって、裏側に窓の少ない棲家として「レンガの家」を必要とした、そのデュプリシティに対して、シュヴィッタースは、構成主義的でありながら、記憶のガラクタ箱のようでもあるMerzbauを、中に住みながらつくっていった–そんなふうに言えるとするなら、なかなか興味深い対比だろう。
ところで、最近のアートは、良かれ悪しかれ、構成主義的な側面が弱まり、コラージュも否定性を失っている(椹木野衣テーゼで言えば、引用・コラージュ・パロディではなくハウスDJのやるようなサンプリング・カットアップ・リミックスに近づいている)。大竹伸朗(一時はよくDJもしていた)が直島につくった、歯医者の家に船やら何やらを貼り付けて(スクラップ・ブックに切抜きを貼り付けるように)ペインティングを施した作品も、どちらかといえばその流れに入るだろう。スクラップ・ブックが本(アルバム)そのものの構造は保持するように、このスクラップ・ハウス(?)も家そのものの構造は保持しつつ(つまり構成主義的変形は試みず)ひたすら多種多様な要素を貼り込んでいる。MerzbauならぬMerz-bow(wow)-houseといったところか?(もうひとつ、この「はいしゃ」の至近距離に、日本的要素をコラージュした最悪のポストモダニズム建築である石井和紘の直島町役場が立っている、一応それとの対比も考えておくべきかも。)
いずれにせよ、この「はいしゃ」は大竹伸朗の傑作と呼ぶに足る力作で、仮の完成から三度も訪ねたのに飽きることがない。壁に船を貼り付けた部分は、中に入ると謎めいた空間になっていると同時に、ペインタリーな魅力にも欠けていない。他方、表の部屋には望遠鏡につながる壁の穴があり、裏の部屋には屋根をやや嵩上げしてまで巨大な「自由の女神」が入れ込んであるのだが、磯崎新の即興的な解釈では、マルセル・デュシャンの遺作で、壁の穴から密室を覗くとランプをもった女性が閉じ込められているのを覗くことになる、それを、外部を覗く潜望鏡と内部に閉じ込められてなおトーチを手にする「自由の女神」に反転・分解したのではないか、と。それが無理な解釈でないかどうかはともかく(「舌上夢・ボッコン覗」が正式のタイトルなので、覗きは重要な要素には違いない)、実際、私も4月に初めてこの作品の完成形を見たとき、「解決はない、なぜなら問題がないから」というデュシャンの名言を絵葉書にしたものを宇和島の大竹のもとに送ったのだった。もうひとつ言えば、最近亡くなったロバート・ラウシェンバーグにも一度この「はいしゃ」を見てもらいたかったと思う。
今回の旅の第二のお目当ては犬島だった。犬の伏せたような形の岩が多いことからそう呼ばれたというこの島は、花崗岩の石切り場で、大阪城の石垣の最大の石もここから切り出されていったということだが、1909年から1919年まで巨大な精練所で銅の精錬が行なわれ、銅の価格の暴落でそれが中止されてから一世紀ちかく、その「近代化遺産」–というよりは古代ローマの遺跡のようにも中世の城や聖堂の遺跡のようにも見えるところがある–がほとんど手をつけられることなく保存されてきたのだ。福武總一郎がそれを手に入れ、その一部を、エコロジー建築の実践で知られる三分一博志の手で甦らせた。むろん、暑さ・寒さのピークにならないとわからないけれど、高い煙突を利用して空気の流れを作り出す自然換気システムはうまく機能しているようだし、植物を利用して排泄物を浄化するトイレのシステムもよくできている。とくに、トイレの壁に落書きめいた形でそのシステムが描かれているのがいい。私はオープニングのとき初対面の建築家に「トイレが素晴らしい!」と言ってしまい、考えてみるといささか不適切だったかと思ったのだが、どうやらあれは正しい賛辞だったようだ。
他方、柳幸典がその中に作りこんだアート・ワークは、いささか問題含みだ。煙突から取り込まれた太陽のイメージが、鏡の迷路(「イカロスの迷路」)で何度も屈折して反映されながら、迷路の入り口のところまで投影される、という部分は、なかなか効果的だと思う。むろん、あまりに高い煙突とは別に、明り取りの穴がつくられているし、入り口のところにある太陽の動画は巨大な望遠鏡の映像からコンピュータ合成したものだ。しかし、炉や煙突を走り抜ける空気の音を聴きながら、鏡の反映をたよりに迷路をさまようというのは、なかなかスリリングな体験には違いない。問題はその後である。クライアントの福武總一郎は、三島由紀夫が1937年から50年まで住んだ松濤の家(後に三島自身の建てたキッチュな洋館ではない)を所有していた。それを犬島のプロジェクトに転用したアーティストは、三島邸のパーツをいわばクリスチャン・ボルタンスキー風に展示することで、迷路をくぐってたどりつく巨大な煙突の下の空間を、かなりウェットなものにしてしまったように思われる――むろん、黒い砂の上に便器が散在しているのがデュシャンを思わせるなど、面白いところは多々あるのだけれど [注]。そのウェットな印象をさらに強めるのが、「などてすめろぎは人となりたまいしや」という言葉が赤で投影されて血文字のように流れ落ちる密室であり、その次の部屋に金文字のモビールのように吊るされた三島最後の檄文の引用である。いくらなんでも、これはいささかストレートすぎる、と同時にキッチュに過ぎる、そう言うべきではないか–このキッチュさが三島のキッチュさに見合っているとも言えるかもしれないにせよ(やはり最近、森村泰昌がこの檄文を読む三島を演じたヴィデオがあるが、自衛官の野次がひどいため「静聴せよ! 静聴せよ!」と絶望的に繰り返す、そこまで精密にシミュレートしたところが、さすが森村と言うべきだろう。)
それにしても、歴史のタイム・カプセルとも言うべき犬島がきわめて興味深い場所であることは確かだし、そこで大規模なアート・ワークを展開するという破天荒な決断も福武總一郎ならではのものだ。とくに、オープニング・パーティは実に面白い見ものだった。今や人口が70人を切るという島で、小柄な老婆たちが「犬島音頭」を踊る、その傍らでVIPを載せたヘリコプターが発着を繰り返し(なぜかパイロットらしき男がケータイでイタリア語を話している)、踊りの舞台の後に広がる水面を、この催しと何の関係もないウォーター・バイクの若者たちが我がもの顔に走りまわる。フェリーニ的とも言えるそうした光景を含め、現代美術の矛盾や危険まですべてさらけ出した、これはきわめてパワフルなプロジェクトだった。かくも無謀なプロジェクトを断行した福武總一郎に、イデオロギー上の違いを超えて、ともかくも敬意を表した次第である。
ところで、直島・犬島を再訪した今回の思わぬ出会いのひとつは、『Review House』の編集にかかわっており『思想地図』にもアニメ論を発表した若い美術家の黒瀬陽平が、磯崎新に紹介してもらいたいといって、わざわざ東京(というか取手)から夜行バスで駆けつけてくれたことだった。実のところ、私は彼が3年程前に大阪湾岸CASOでやった展示(岡崎乾二郎がカナダ大使館でやったバンフ・レジデンス報告展の展示にアニメのフィギュアを加えたようなもので、岡崎乾二郎と椹木野衣を結びつけるという彼の現在のテーマのひとつを先取りしていたのかもしれない)を見ているのだが、最近は批評家として目覚しい活躍を開始している。一応アニメ論が「専門」とはいえ、美術、さらには文化一般に広く目配りしており、勘もいい。現に、初対面であるにもかかわらず、話は弾み、非常に刺激的だった。かつては岡本太郎の「太陽の塔」、最近では自分がデザインの選定にかかわったレム・コールハースの中国中央電視台の類を、機能的・象徴的内容の表象とは切れてマス・メディアの海に漂い出した「アイコン」としてとらえている磯崎新も、若手アニメ批評家の「キャラクター」論に大いに刺激されたようだ。彼らの間でどういうインタヴューが成り立つか、それは今後のことになるが、とりあえずわれわれが初めて直島で出会った、それだけでも今回の旅の意味はあったように思う。
この地域では、福武總一郎と北川フラムを中心に2010年に瀬戸内国際芸術祭が開かれる予定で、うまくいけばトリエンナーレ化されるという。瀬戸内にルーツをもつ私(それはまた別の話だが)としても、このプロジェクトの進展を、興味をもって見守っていきたい。
[注]「ドタバタ日記」の最初にアップされたヴァージョンには、三島邸転用の経緯について誤った記述が含まれていました。アーティストを初めとする関係者諸氏、および読者諸氏にお詫びすると同時に、当該箇所を訂正しておきます。(浅田彰)
寄稿家プロフィール
あさだ・あきら/1957年、神戸市生まれ。京都造形芸術大学大学院長。同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。