COLUMN

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浅田彰のドタバタ日記

第2回 2008年6月26日
浅田彰
Date: June 26, 2008

京都在住の批評家が日々の見聞や邂逅についてアト・ランダムに書き綴るメモランダム。ドタバタ紀行の跡を辿ると時代の動きが見えてくる……。(随時掲載)

前回、ハンス・ウルリッヒ・オブリストとともにメタボリズム周辺に関する大規模なインタヴュー集を準備しているレム・コールハースが、その一環として4月30日に行なった群馬県立近代美術館での磯崎新への公開インタヴューのことに触れた。その後、彼が「それにしても、丹下健三研究室の『東京計画1960』以後、あれに匹敵するほどヴィジョナリーな東京改造計画を見たことがない、これはいったいどういうことだろう?」と尋ねたのに応えて、私はおおよそ次のようなことを言った。

 

メタボリズムは生物のように新陳代謝する建築や都市を目指したけれど、それは資本主義の「死の欲動」による建設と破壊の繰り返しとして、具体的には、下河辺淳(あなたもインタヴューした)や武村正義をブレーンとする田中角栄の「列島改造」という形で、暴力的に実現されてしまった。それに対するヴィジョナリーな批評的介入としては、むしろ建築の否定と自然への回帰しかなかったのではないか。最近、安藤忠雄が東京湾のゴミの島を森にするプランを提案しているが、それもその一環と見ていい(彼は、「9.11」同時多発テロの後に残った「グラウンド・ゼロ」にも、地球を思わせる球面の一部を緑で覆った丘を提案していた)。

 

だが、その意味でもっともラディカルな東京改造計画を実現しつつあるのは、東京の中心に住まう天皇家ではないか。昭和天皇は南方熊楠のような博物学者とも接触のあった生物学者であり、「雑草(あなたの用語でいえば「genericな草」)という草はない」という名言を残している。平成天皇も生物学者であり、その点では父のヴィジョンを受け継いでいる。第2次世界大戦時の昭和天皇を描いたアレクサンドル・ソクーロフの『太陽』はいろいろ問題を孕んでいて傑作と言うわけにはいかないが、昭和天皇を皇居という籠にとらわれた生物学者(東京大空襲も海洋生物の如きものの来襲として幻視するような)として描いているのは決して的外れではない。そして、戦争の後、昭和天皇は皇居の森をできるだけ手つかずの自然に帰すことにする。平成天皇もその方針を受け継ぎ、吹上の森の定期的公開(限定されたものだが)も始めている。こうして、かつて江戸城などの大名庭園だった場所は、鬱蒼たる雑木林に回帰しつつあるのだ。世界最大のメトロポリスのひとつである東京の中心が、最終的に、南方熊楠のいた熊野の森のような自然に帰っていく……。これはほとんどJ・G・バラード的な反都市のヴィジョンと言えるのではないか。私は政治的には天皇制は廃止されて当然だと考える常識人だが、この2代の天皇の東京のヴィジョンが、いかなる建築家・都市計画家やアーティストのヴィジョンよりもラディカルであることを認めるに吝かではない……。

 

いかにもレム・コールハースの喜びそうな(実際、彼はこの話をずいぶん面白がった)形に誇張した話には違いない。だが、東京の真っ只中に、捏造された「原始の森」が現れるという、まさしくバラード的なヴィジョンが、少しずつ、しかし着実に実現されつつあるというのは、考えて見れば驚くべきことではないか。少なくとも、それは「皇居美術館」構想などよりはるかにラディカルなものであると私は思う。

 

伊東乾氏への手紙――シュトックハウゼンをめぐって

 

前回、最後にシュトックハウゼン追悼コンサートの話が出たので、それに関連する話も。昨年シュトックハウゼンが亡くなったとき、讀賣新聞に追悼記事を書いたところ、これがシュトックハウゼンのファンから公的・私的に相当な反発を惹き起こした。まずは問題の文章を再録しておこう。

 

シュトックハウゼン氏を悼む(『讀賣新聞』2007年12月12日)

 

 去る12月5日、ドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンが79歳の生涯を閉じた。「前衛音楽の終わり」をあらためて感じさせる出来事である。
 実際、シュトックハウゼンはノーノやブーレーズと共に「前衛音楽の三羽烏」と呼ばれる存在だった。物質的にも精神的にも廃墟と化した第2次世界大戦後のヨーロッパで、彼らは戦前の前衛音楽の遺産を継承し発展させようとする。シェーンベルクの音列(セリー)の技法を一般化した全面的セリー音楽はその成果であり、20世紀の前衛音楽のパラダイムとなった。「コントラプンクテ」や「ピアノ曲I~XI」を初めとするシュトックハウゼンの初期作品はその代表であり、ポリーニのような巨匠によって現代の古典として演奏され続けている。
 しかし、シュトックハウゼン自身は、あまりに厳密で禁欲的な点と線の音楽に満足せず、電子音響の実験を試み(最近の「音響派」の若者たちに先駆者として崇拝される所以だ)、音楽に空間性や演劇性を導入し、やがては上演に7夜を要するオペラ(そこには4台のヘリコプターに分乗した演奏者たちによる弦楽四重奏まで含まれる)によって宇宙全体を包括しようとさえする。ワーグナーの「全体芸術作品」の夢が、ヒトラーの悪夢に終わった後、前衛の批判をへて、再び甦ったとでもいうかのように。
 その夢は時に危険な誇大妄想と見なされもした。特に2001年9月11日の同時多発テロを「全体芸術作品」ととらえ、テロリストの献身を賞賛するかのような(少なくともそのように誤解されても仕方のない)発言は、多くの市民の顰蹙を買った。裏を返せば、シュトックハウゼンは市民的良識を超えた絶対的な芸術を信じ、そのために自他の献身を要求してやまなかったのである。
 ノーノは前衛音楽と共産主義(彼はイタリア共産党の党員だった)を両輪に前進し続けた末、晩年メランコリーの彼方に希望の微光を見ながら一足先に世を去った。ブーレーズは、指揮者として成功したこともあり、いわばフランス国家の芸術家として楽壇に君臨している。彼らに比べ、献身的な弟子たちと共にセクトのような小集団をつくって自らの音楽の夢を純粋に追い続けたシュトックハウゼンの軌跡を、偉大と見るか悲惨と見るか。それは前衛音楽の、いや近代芸術の運命そのものにかかわる未決の問題である。

 

この文章は公的・私的に反発を呼んだのだが、その中でも、伊東乾氏のかなり長い文章は、シュトックハウゼンが「9.11」関連の発言をめぐって蒙った「誤報」による「報道被害」を無批判に増幅したとして、私を批判するものだった(ただし伊東氏の文章は私に対して礼儀を欠くことがなく、一方的な非難でないことは強調しておきたい)。後になってこの文章に触れた私は伊東氏に次のようなメールを送ったが、届いたかどうか確認できず、応答もない。ここであえて公表しておく。

 

伊東乾 様
 本日(2008年1月10日)会議のために勤務先に出かけてドイツからのお葉書を落手し、私が讀賣新聞に書いたシュトックハウゼン追悼記事に関して日経ビジネスのウェッブ・ページに書かれた批判記事も拝読しました。今まで批判記事のことを知らなかった怠惰に加え、年末年始のためレスポンスが遅れたことをお詫びします。
 伊東さんの批判記事は、正当な意図から書かれたものである(「献身的な弟子」による党派的な弁護のようなものではない)、そしてシュトックハウゼンに対する正しい理解に資するものである、と思います。その上で言えば、私は自分の追悼記事に関してとくに変更の必要を認めません。
 もちろん、「9.11」直後のヒステリーの中で、シュトックハウゼンの発言の一部が過大に喧伝され、演奏会がキャンセルされるといったバッシングを引き起こしたのは、きわめて嘆かわしいことだと、当時も今も思っています。ただ、当初の報道が著しい偏向報道だったにせよ、それを「捏造」による「誤報」とまで言い切れるでしょうか。
 シュトックハウゼンがあのテロのことをルシファーによる最大の Kunstwerk だと言ったのは事実です。Kunst は(テクネー/アルス/アートなどと同じく)「芸術」や「技術」を包含する「術」を含意し、Kunstwerk はそのような「術」による労作を含意する――当然そういう含意を踏まえた上で、Kunstwerk は「芸術作品」と訳されて然るべきでしょう(「悪魔の技術の労作」と訳さなければ誤りだとは言えません)。ルシファー(悪の大天使)の芸術作品なのだから、それは悪の発露であり、非難すべきものであることは言うまでもない。しかし、それは、愚かな悪者どもが思いつきでしでかした下らない悪事として切り捨てられるものでもない。むしろ、その巨大な闇に拮抗し、それを圧倒するほどの作品を、芸術家は光の側で生み出さなければならず、そのためには、テロリストの献身――悪への献身ではあるにせよ驚くべきものであるには違いない献身――に拮抗し、それを圧倒するほどの献身が、芸術家にも求められる。シュトックハウゼンはおおむねそのように考えていたというのが、私の解釈です。あえて単純化すれば、テロリストはもちろん芸術家の敵だが、どうでもいい雑魚ではなく、端倪すべからざるライヴァルだ、といった感じでしょうか。私の追悼記事はそのような解釈に基づいて書かれており、極端に短いスペースしかなかったため説明不足かもしれないにせよ、そのように理解されるはずだと思います。(ちなみに、私自身はテロリストをそれほど巨大な悪とは思わないものの、シュトックハウゼンがそう考えたとしてもおかしくない気がする――それは、まったく別の文脈で言えば、私がオウム真理教をたんなるバカの集団だと思いながら、それと真摯に対峙しようとする伊東さんの努力に敬意を払うのと、ある意味で似ています。)
 ワーグナーを引き合いに出したのは、4夜を要する「ニーベルングの指輪」と7夜を要する「光」との見やすい対比のためで、ワーグナーとシュトックハウゼンの間にとくに深い音楽史的関係があるわけではないとは思いますが、そういう巨大な「全体芸術作品」の構想において一脈通ずるところがあるのも確かだと思います。そのワーグナーの「全体芸術作品」の夢が歴史の流れの中で反転してヒトラーの悪夢に終わったと言うことは、ワーグナーをヒトラーと等値することとはまったく違いますし、シュトックハウゼンが「全体芸術作品」の夢を別の形で甦らせたのかもしれないと言うこともまた、シュトックハウゼンをヒトラーと等値することとはまったく違います――シュトックハウゼンがワーグナーと同じくらい偉大で同じくらいプロブレマティックな芸術家であるという含意はありますが。言い換えれば、シュトックハウゼンは、テロが素晴らしい芸術作品だと言って礼賛するような愚かな悪魔主義者でもなければ、ワーグナーをファシズムと結びつけて端から切り捨てるような「良識派」気取りの小市民でもない。よほど無知で読解力のない読者か悪意をもった読者でないかぎり、私の追悼記事を読んでそういう誤ったイメージを抱く人はないと思います。
 もちろん、以上のような私のシュトックハウゼン解釈が的外れである可能性はありますし、私の短い追悼記事からそのような解釈がうまく伝わらない可能性もあるでしょう。ただ、私が当初の「捏造」による「誤報」を反復し広めているという批判は当たらないと思います。「専門家」でもないのに新聞の追悼記事の執筆を引き受けたこと、新聞の短いスペースに説明不十分な記事を書くこと自体、間違っている、という批判なら、当たるでしょうけれど(とはいえ、私はそういう批判には同意しません)。
 ともあれ、私はシュトックハウゼンの音楽がきわめて重要なもので今後も聴きつがれていくべきだと思っていますし、伊東さんも含めた人々の努力で演奏・上演の機会がもうけられるなら素晴らしいことだと思っている。その点では、伊東さんと同感ですし、今後のご努力に大いに期待しています。

 

このメールへのレスポンスがなかったことを咎める気はさらさらない。ただ、このメールを公表し、追悼記事を多少とも補完しておきたいと思う。むしろ、たまたまトーキョーワンダーサイト渋谷を覗いてスティーヴ・ライヒに呼び止められ、あげくのはてにアンサンブル・モデルンによる熱のこもったシュトックハウゼン追悼コンサートを聴くことができた、それこそが不思議なレスポンスだと私は感じている。ともあれ、確かなことがひとつ、それは、私がこれからもシュトックハウゼンの音楽を機会のあるたびに聴き続けるだろうということだ。

寄稿家プロフィール

あさだ・あきら/1957年、神戸市生まれ。京都造形芸術大学大学院長。同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。