COLUMN

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浅田彰のドタバタ日記

第1回:2008年5月16日
浅田彰
Date: June 06, 2008

京都在住の批評家が日々の見聞や邂逅についてアト・ランダムに書き綴るメモランダム。ドタバタ紀行の跡を辿ると時代の動きが見えてくる……。(随時掲載)

連休明けに行ったら休みだったので(当たり前か)、5月16日に渋谷の松濤美術館を再訪、中西夏之の『絵画の鎖・光の森』展を見る。ネオダダ時代に洗濯ばさみをびっしりつけた作品をつくっていた、その洗濯ばさみが藤の花びらめいたタッチに変わって日本画のように装飾的になったら美術館が喜んで受け容れるようになった——かつて冗談半分でそんなことを書いてアーティストを激怒させたことがあるのだが、日本美術に重点を置く松濤美術館で開かれた今回の展覧会は、そんな中西夏之の絵画がきわめて洗練された段階に到達したことを示すと同時に、それがネオダダ時代となんら変わらない実験精神——たとえば図と地の反転を徹底するといった——に貫かれていることを示す。かつての妄言を撤回し、アーティストに脱帽するばかりだ。

 

そこから、これまた連休明けに閉まっていたトーキョーワンダーサイト(TWS)渋谷に回る。3人のアーティストが作品を展示しており、中でもマティアス・シャーラーの写真が面白い。古めかしいヴィラのような内装の部屋にウルトラモダンなデスクやコンピュータを置いたオフィスを、ベッヒャー夫妻流のタイポロジーとして真正面からとらえた連作写真で、スイスのプライヴェート・バンクの頭取のオフィスか何かを撮ったのかと思いきや、実はヴァチカンの枢機卿たちのオフィスだったという落ち。それでタイトルも『Purple Desks』(「紫衣」ならぬ「紫卓」?)というのだった。東京都知事のオフィスを撮ってもこうはいかないわけで、現に日本ではまったく別のテーマで撮影を行なっているらしい。

 

渋谷から乃木坂のギャラリー間へ。杉本貴志展の水の茶室は、壁の代わりにびっしりと張られた無数の垂直線を水の雫が音もなく流れおちて(ただの水なのに透明な粘性流体のよう)、確かにすごくきれい。利休(さび)の美学には合わないだろうが、遠州(きれいさび)あたりなら面白がったかも。

 

乃木坂から東京ミッドタウンの「21_21 Design Sight」へ。1枚の布を折って服を作る三宅一生にならって、1枚の鉄板を折って建物を作ろうという安藤忠雄のコンセプトが、大胆な建築に結実している。開館時の安藤忠雄展も設計・建築プロセスそのものを展示してスリリングだった。しかし、その後の運営は、若い人たちに活躍してもらいたいという三宅一生の気持ちが裏目に出て、やや中途半端と言うべきではないか。今回の『21世紀人』展も、三宅一生のグループの展示——とくにダイソンの掃除機[!]をモチーフにした新作の展示が、際立って面白い。やはり一度、三宅一生がひとりで好きなように展覧会をやり、それを乗り超えるべく若い人たちを挑発すべきなのではないか。
展覧会を見たあと東京ミッドタウンを出て、近くの磯崎アトリエの方に向かっていたら、三宅一生そのひとにばったり。展覧会のもうひとつの目玉であるイサム・ノグチの墨絵をニューヨークで発見した経緯を聞かせてもらう。
(ちなみに、蔡國強が、三宅一生も受賞したヒロシマ賞を受賞するので、広島市現代美術館で展覧会が開かれることになり、10月25日に爆発パフォーマンス、26日にアーティスト・トークが設定されて、彼がぼくを対談相手に指名。そのとき三宅一生の白いプリーツ・ドレスに彼が火薬の跡をつけたドレスを楠田枝里子に着て登場してもらえばいいんじゃないか、と——たしか夏物のノースリーヴだけれど、そこはまあ上にゴージャスなコートでも羽織ってもらうとして。それで冗談半分に連絡してみたら、楠田枝里子はすでにダイソンの服をゲットしている、と。さすがに早い!)

 

磯崎アトリエで磯崎新と『ジャパンタイムズ』のインタヴューの合間を縫って相談。77歳を記念して世界7箇所で7つのイヴェントを開く、その一環として4月30日に群馬県立近代美術館のリニューアル+磯崎新展(7つの美術館+7つの茶室)に際してレム・コールハースが彼に公開インタヴューする催しがあり(コールハースはハンス・ウルリッヒ・オブリストとともにメタボリズムに関する膨大なインタヴュー集を準備しており、故・黒川紀章をはじめ、多くの当事者たちにインタヴューを重ねてきている)、例によって「ドタキャン」したオブリストに代わるようにしてぼくも喋る羽目になったのだが(ひどく暑かったので下着姿——ぜんぜん似合わないジョン・ガリアーノ・ビーチウェア!——になっていたのを忘れてヴィデオに録画されてしまったのは一生の不覚!)、話の内容はきわめて刺激的で、東京に帰っても深夜まで話し込んだのだった。コールハースと話すのは、北京のm meeting(2002年)で「あえてグローバル資本主義の波をサーフするしかない」と言う彼をシニックと呼んで大喧嘩になって以来のことだが、いつ話しても確かに面白い。インドネシア独立派の両親に連れられて、幼年期をインドネシアで過ごしたというあたりは、バラク・オバマの先駆けのようなところも。同席していた名和晃平の作品の写真を見せると「ああ、君の作品はドバイで見た」と即答するあたりは、彼のジャーナリスティックな視野の広さ、そしてグローバル資本主義の中でのアートの現状を、よく表している……。群馬の話に戻れば、1970年大阪万博の「挫折」の後、磯崎新がマニエリスム=ポストモダニズムに転回する、そのとき、きれいなプロポーションという日本建築と近代建築に共通する規範に対し、1:1の正方形というプリミティヴな原点に戻って反建築を目指したというのが建築家のレトリックなのだが、群馬県立近代美術館のあまりに見事なプロポーションそのものがそのレトリックを反駁している(とくにレストランがちょっと斜めに突き出たあたりはほとんど小堀遠州!)、ところが、中平卓馬だけは確かにそれにキャメラを向けて反建築写真を撮ってのけたのだった(その前には石元泰博の客観的な建築写真があり、その後には篠山紀信らの主観的な「生きられた家(建築)」の写真がある、そのどちらとも違うのだ)。そのうちの2枚が今回の展覧会カタログに載っていて、他の写真と比べても突出しているのだが、他にもフィルム1本分の写真が残っているので、群馬県立近代美術館に関する宮川淳の文章、そして中平の写真が発表された『近代建築』1975年1月号の磯崎新・中平卓馬・李禹煥の座談会で小冊子をつくるといいかもしれない、というような話も。

 

乃木坂から日比谷の第一生命南ギャラリーでの東島毅展へ。マッカーサーがGHQを置いたマッシヴな建物の正面の列柱をぬけて地下に下り、ギャラリーのニュートラルな空間で大画面に出会うと、石の表情がうるさい岡山県立美術館での展覧会のときより断然いい感じ。深い紺青の画面から光が差すようなのだが、その画面を寝かした方を低い姿勢で見ると壁の反射光の影響でほとんどグレーの光のない面にも見えたりして、とても印象的だった。作品そのものが寡黙なようでこれほど雄弁なのだから、ポエティックなタイトルがジャマかなと思うけれど、まあそれは彼の持ち味だろうから…。

 

で、その後ある会議に出たものの、ディナーはすっぽかしてコンサートへ——その理由は;

 

実は、この日は、三宅一生以外にも、人とばったり会う日だったらしい。連休前に閉まっていたTWS渋谷を見に行ったら、またしても閉まっていて、何か音がしている——と思ったら、ひょっこりスティーヴ・ライヒが出てきて、「おお、お前か、アンサンブル・モデルンのワークショップでオレの曲をやるから練習に付き合ってるんだ、聴いていけよ」と。東京オペラシティ コンサートホールが「コンポージアム」でスティーヴ・ライヒとアンサンブル・モデルンを呼ぶ、それとの相乗りで、TWSでもアンサンブル・モデルンを主体とするワークショップとコンサートが実現できたという。マティアス・シャーラーの展示室をスタジオがわりに、日本の若いミュージシャンを交えてトリプル・カルテットの練習をしていて、なかなかの迫力だったし、録音されている部分を再生しつつ演奏したり、打ち込みのリズムだけを流して練習したり、ああいう音楽のつくりかたがよくわかって、とても面白かった。5月17日に東京ウィメンズプラザでその成果発表コンサートがあったはず。

 

こうして今になって見ると、美術にせよ、音楽にせよ、TWSはすごくいい。館長の今村有策(磯崎アトリエを経てアメリカに渡り、石原慎太郎ジュニアと知り合った)が最初から石原色を慎重に排除して今みたいにやっていたら。このままでは石原の都政私物化の一環として次の都知事に廃止されるのは必定。しかし、都の施設で使っていないところをアーティストのレジデンスや展示に使うというアイディアはいいし、とくに最近は質のいい企画が多い。けっして石原慎太郎の支持者ではないぼくとしても、ここはあえて石原都政の功績を認め、TWSの継続と発展を声を大にして訴えたい。

 

ともあれ、5月15日もアンサンブル・モデルンがシュトックハウゼン追悼公演をやるというので急遽付き合うことになり、シュトックハウゼンと親しかった磯崎新(1965年に初めて『朝日ジャーナル』で対談というものをやった、その相手がシュトックハウゼンだったという)も誘って行ったのだが、これがまた東京ウィメンズプラザの小さなホールで熱の籠もった演奏が聴けてすごく面白かった。1951年の「クロイツシュピール」(クロス・プレイ)はすでに完成されている。シュトックハウゼンというのは、結局、一生かかって初期の完成された音楽を崩していったのかもしれない(80歳を超えた今なお、20歳のときの「ノタシオン」をオーケストラ曲に書き換えつつあるブーレーズとは対極的に)。フルートがフィードバックつきで演奏する「ソロ」(1966年)はブーレーズの「二重の影との対話」をはるかに先取りしている感じ。他方、クラリネット奏者の女性が道化めいた巨大なチュチュで踊りながら演奏する「小さなハルレキン」(1975年)は、文字通りコメディア・デラルテみたい。2台のピアノで、ピアニストがくわえていたマレットを急いで手に持ってメタルやウッドをたたいたり、これまたあわててモジュレ-ターを調整したりしながら演奏する「マントラ」(1970年の大阪万博のとき日本で書き始めたらしい)も、途中で狂言みたいに声をかけあうところがあったりして、けっこう演劇的。ブーレーズの2台のピアノのための「構造」は、今ではエマール+ボファールが完璧に近い演奏を聴かせてくれるけれど、彼らはああいう演劇的なところは恥ずかしそうにしかできないので、その辺はドイツのおじさんたちのほうが多少精度は低くても堂に入った感じだった。

 

で、コンサートが終わったあと、アンサンブル・モデルンのメンバーが、「ほら、これが坂本龍一&カールステン・ニコライとマンハイムでやった『utp-』の届いたばかりのDVDだよ」と。DVDブックの序文を両者から頼まれたにもかかわらず、パフォーマンスそのものを観られなかったので書けなかった、それが気になっていたのだが、美しいDVDにまとまって本当によかった。また、日本で同時に commmons からリリースされる坂本龍一&高谷史郎の『LIFE-fluid, invisible, inaudible…』も、山口情報芸術センターで制作されたインスタレーションの映像を軸に、DVD独自の凝った編集がなされており(とくに5.1chサウンドのおそるべき精度!)、実に素晴らしい。山口情報芸術センターでは、これまた圧倒的な精度を誇る池田亮司展の最終日にあたる5月24日に、これら2枚のDVDが最高の機材を使い先行上映される予定。池田亮司展はオープニング・コンサートのときに行ったけれど、ここまで先端的な試みが一堂に会するとなるともう一度行きたい気が…。さすがに無理か…。こうしてドタバタ紀行はどこまでも続くのだった。

寄稿家プロフィール

あさだ・あきら/1957年、神戸市生まれ。京都造形芸術大学大学院長。同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。