COLUMN

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昭和40年会の東京案内

第69回:東京改造法案大綱
会田誠
Date: June 12, 2008

此れが余の執筆枠の最終回、余に残されし字数は限られ、東京への苦言は尽きぬ。よつて現代風長舌を排し箇条書きでゆかうと思ふ。

 

一、
地方より或は外遊より戻りし度、余は帝都の欠点・弱点に大いに気付くものなり。
二、
特に川・堀・池等の水辺が悪し。又遊興の地、有り体に云へば飲み屋街も悪し。更に公園も悪し。そして此れ等は、効率のみ求め人心の潤ひを等閑したるといふ点、同根のものなり。
三、
古来人間たる種族は、なかんづく亜細亜の民は、水辺から近き風光明媚なる地にて遊興したるものなり。かつて江戸の歓楽地たる吉原や深川も、また開化後の歓楽街たる浅草も、共に川や堀の間近に有りぬ。然るに今日の東京の歓楽街たる銀座、新宿、渋谷、池袋、六本木……嗚呼、何処に水在りや。何処に緑ありや。東京、乾きおり。余りに乾きおり!
四、
倫敦、巴里、紐育……世界の大都市の中心を悠然と流るる川と緑の情景が、いかに彼の地の住民の心を和ませ、祖国への健全なる愛着と誇りを育むか。また年間いかなる数の観光客を招き寄せるか。試しに誰ぞその精神及び経済的効果を試算してみるべし、莫大なものにならん。対するランヂングコストの低さ、半永久性も併せ考へてみよ。
五、
日本であれば京都の四条河原、福岡の中洲あたりが、元来あるべき歓楽地の姿を今に留めているものと云へやう。大阪の道頓堀もいくらか増しである。しかしそれは帝都にも有らねばならぬのだ。否寧ろ政治経済の機能が集中し人心が殺伐に傾きがちな、帝都にこそ有らねばならぬのだ。
六、
余は支那の首都・北京に赴いた折に見た、夜更けまで煌々たる遊興の灯を広い湖面に映す後海(ホウハイ)公園の、正に桃源郷的光景が忘れ難し。伸びゆく支那に嫉妬し焦燥するもよからう、但しその時、林立する高層建築にのみ心を奪われてはおらぬか。高が遊興と侮る事無かれ、経済発展の基底に人心あり、思はぬ所から足を掬はれる事もあると忠言しておく。
七、
我々が犯した代表的な愚挙は、先人が江戸中に張り巡らせた堀の景観を悉く破壊した、首都高速道路の建設であつたらう。我々は目先の僅かな利便と引き換へに、三百年以上に亘つて築き上げて来た財宝を、自らの手でたつた十数年の内に反故にしたのだ。首都高が露西亜の映画監督タルコフスキヰ氏により未来都市の如く夢幻的に撮影されたからとて、余り好い気になつてはならぬ。斯様に愚かな自己破壊を遂行する国民が、自己を見失つた高度成長期の我々以外に居なかつたといふ証左である。
八、
又水と接する護岸の処置もあまりに無味乾燥にして無粋である。治水に悩める近代以前ならいざ知らず、技術立国たる今日の我が国、いかに山岳に富み川の流れ急なりと謂えども、又台風の多く通過すると謂えども、斯くも高きコンクリートの堤防、誠に必要なりや。工夫の余地誠になきや。余は疑ふ。
九、
もちろん余とて一度(或は震災含め二度か)灰燼に帰して歴史が分断された帝都の悲運を知らぬではない。兎に角復興を急ぐ現実的事情もあつたらう。余は電車さへ動けば法隆寺なぞ焼けても良いと断じた坂口安吾君の痛切なるイロニヰを解する者である。ビルを縫つて首都高を走る痛快も知らぬではない。だから過ぎた事を此れ以上兎や角云ふまい。問題は此れから如何にして、世界に誇りうる新たなる潤ひと景観を、我が帝都に創出するかのみである。
十、
無論斯様に過密となつた東京の抜本的改造は困難を極めやう。余は数年前に「新宿御苑大改造計画」と云ふものを発表した。此れとて東京中心部に僅かに残つた緑地の最大活用を巡る、苦しい思考実験に過ぎなかつた事は否めない(詳しくは余の作品集「Monument For Nothing」を読まれたし)。矢張り隅田川にセエヌやテムズの浪漫を、東京に紐育中央公園の憩ひを望めば、徒に虚しさが募るのみか。
十一、
だがしかし――。周知の如く我が帝都の中心部には、少なからぬ緑地と水の潤ひが存しており、それは世界の大都市に比してけして劣らぬものである。斯くなる上は「あの土地」を開放するより他詮無きか。されど余は小心者、その土地の名を告げる事能はず。余は暗殺されるは御免なり。ただ、東京より京都こそが日本の文化的伝統を象徴するに相応しき土地ではあるまいか、とだけ付言するに留めん。
十二、
とまれ、目先のことに囚はれ人心を鑑みず百年の計を怠れば、国必ず衰滅す。此の事努々忘るる事無かれ。以上、東京都知事・石原慎太郎君に提言す。以て熟考されたし。

 

平成弐拾年伍月吉日、雪舟参拾代画狂人法橋狩野天心こと會田誠記す

<編集部からお知らせ>
本連載「昭和40年会の東京案内」の書籍化が決定しました!
8月刊行に向け、現在鋭意制作中。3年間にわたる全原稿と、新規コンテンツも収録予定です。
また、本連載は7月をもって終了します。この後、パルコキノシタ氏、そして松蔭浩之氏の寄稿となります。フィナーレまで、引き続きご愛読よろしくお願いします!
昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。