
さて、では主観的意見を述べると予告した「後編」です。とはいえ僕は社会活動家のキャラをあまり持ち合わせていないので、自分の「好き/嫌い」の感情だけに終始した、説得力のない作文になるとは思いますが、悪しからず。
ホームレスがいるから東京が好きでした。
生まれ育った新潟では、郊外の住宅地で育ったせいもあって、ホームレス(当時は浮浪者と呼ばれてましたが)を実際に見ることはほとんどありませんでした。美術予備校の講習を受けに東京に来た高校3年の夏、初めて多くの浮浪者を目にしました。僕は何かとても嬉しくなり、「浮浪者がいるからこそ、僕は東京に住みたいと強く願う」といった趣旨のことを、興奮して日記に書き付けたことをよく覚えています。
また例えばこんな軽いエピソードも。浪人中の友人に、父親が京浜工業地帯の小さな町工場の社長、という奴がいました。幼い頃はボンボンとして贅沢三昧の日々を過ごしたけれど、工場の経営がだんだん悪化し、ついに倒産。一夜にしてすべてを失い、両親から一家心中の相談をリアルにされたそうです。その話を聞いて、僕は不謹慎と思いながらも、正直羨ましく思いました。僕には、人生に経済的浮き沈みがない公務員の家に育った者の自己嫌悪が、人一倍強いのかも知れません。そのせいで、現代美術家なんて最もリスキーでギャンブラーな人生を選んだのかもしれません。
自分の過去の作品を振り返ると、直接的であれ間接的であれ、ホームレス的なモチーフが多いことに我ながら驚きます。もちろん前述のような、ホームレスに対する怖いもの見たさみたいな、ミーハーな憧れも要因になっています。しかしそれだけではなく、芸術ならば必ずやるべき「根源的思考」から自ずと導き出されたモチーフだった、とも思います。
公務員であれ社長であれ、それは一時的で表面的な肩書きに過ぎず、誰が明日、突然ホームレスになってもおかしくはありません(自然災害や戦乱を想定すればなおさらです)。人間社会に平等なんて基本的にないけれど、誰もがホームレスになる潜在的可能性を持っている、という点においてのみ、人は平等なのでしょう(もちろん『死』もあるけど、それは根源度の一段高い別の話)。
だから僕は、実際にホームレスとして暮らしている小川てつオ氏といちむらみさこ氏の存在を最近初めて知り、彼らのアーチストとしてのアウトプットの実態は詳しく知らないながら、そのライフスタイルのラディカル(根源的)な選択だけでも、十分に頭が下がる思いがしました。
僕の場合どうしても間接的な表現をしてしまいます。例えば僕の大学院の修了制作は、日本画風に描いたゴキブリと雑草でした。たんに日本画という権威を引きずり下ろしたかったわけではなく、普通の意味で美しく愛おしいと思ったものを、逆説的ではなく順接的に、モチーフとして選びました。これも広い意味で、ホームレス的なモチーフだったと思っています。
つまり、放っておくといつのまにか増えているもの。無くそうとしても、いつの間にかひょっこり顔を出すもの。それを力で押さえつけて曲がりなりに完全駆除してみると、なにか不自然で、嘘っぽく、世界全体が薄ら寒い感じになるもの。ことわざでも「水清きに魚棲まず」といいますよね。
そういう雑草的なものが排除された「嘘くさい花壇」みたいなものが、僕はとにかく好きじゃないのです。まあ、そういう近代的・合理的なものがあってもいいでしょう。というか、現代ではそれが主流なのも仕方ない、と思っています。けれど東京が全部、そんなきれいきれいな「なんとかヒルズ」みたいになったら、僕は二度と東京に足を踏み入れないでしょう。そして賭けてもいいけれど、そんなことになったら、東京では自殺者が激増するはずです。
ちょっと話は変わりますが、僕は今書きながら、アートとホームレスのアナロジー、みたいなことを考えてみました。僕が理想とするアートの存在感は、ホームレスの存在感にどこか似ているのかも知れない、そんなことです。
僕は、アートは社会の表舞台に堂々と立たなくていいし、むしろ立ってはいけない、と思っています。アートはホームレス的、あるいは雑草的存在であるべきではないか、と。
草間彌生さんが天皇陛下から何やら勲章を貰っていたけれど、僕はたとえこれからどんなにキャリアを積んだとしても、そういうものは要りません(天皇制に反対だから、という理由でないことは文脈上分かりますよね?)。むしろ汚い金なら喜んで受け取りますが。あるいは、たとえどんなにフレンドリーなものを作ったにせよ、強制的に人々の視界に入り込んでくるという意味で、逃れがたく高圧的な存在であるパブリックアートというものにも、手を染めたくはありません。
こんなことをいうと「世間と勝負する前から負け犬根性」みたいに思われそうだけれど、本人としてはそういうつもりは全然ありません。雑草のプライドがあるからこそ、雑草の「自分の存在意義に対する揺るぎない自信」があるからこそ、そう思うのです。その存在意義とは、固くいえば「近代化・合理化に抗う根源の提示」、柔らかくいえば「背広族が作った嘘くさい花壇を蹴散らす雑草パワー」ということです。それをやめて背広族の従順な飼い犬になったアートなんて、いかに表面的にはきれいでも、本質的にはゴミ以下の代物でしょう。自分への戒めも込めて、はっきりとそう書いておきます。
話がバラけてきましたが、そろそろ話を「渋谷アートギャラリー246」に戻しましょう。この写真を見てください。

明治期には渋谷周辺にもまだあった小川べりの美しい野の花の群生、その再生を夢想することは、たしかに善意から発せられたものでしょう。しかし実際に出来上がったものは、まさに「絵に描いた(ような)嘘くさい花壇」以外の何ものでもありません。その前にホームレス除けのカラーコーンを置き、さらにそのトゲトゲしい印象を糊塗しようとしたものか、造花の(!)プランターまで置いてあります。愚かな偽善の上塗り、という感じです(しかし遠藤一郎くんが撮影したこの写真は、アイロニカルで自嘲的な「東京のアート」作品として見ると、なかなかの完成度だと思います)。
雑草こそ(好むと好まざるとに拘らず既成事実として)コンクリとアスファルトで固められた大都市における、唯一残された「自然な自然」です。その雑草とアナロジー的に結びつくホームレス(あるいはグラフィティも、僕は似たような性質を持っていると思うのですが)を、このような「不自然な自然」「嘘くさい花壇」によって駆逐しようとすることは、本当に街に潤いを与えることになるのでしょうか。この写真から響いてくる何とも不快な不協和音は、そのことを何よりも訴えかけているように僕には思えるのですが。
もちろん表現の修行中である日本デザイナー学院の学生さんには、何の罪もありません(ちなみに、地下道の楽器を奏でる魚たちの絵の方は、純粋に絵としてなら、けっこう上出来だと思いました。たぶん原画を描いた学生のSさんとSさん、こんなことを書かれたからといって、変に気を落とさないでくださいね。でも何かを表現したら必ず批評が生まれる、ということも覚えておいてくださいね)。誰かを糾弾する気などありません。ただ、とてももったいないことだと思うのです。
日本デザイナー学院の教員ブログには、創立から一貫して変わらない学院の教育方針として、「常に時代を意識して、社会とリンクした実践的な授業」が謳われています。ならば、この問題と真正面から向き合ってみたらいいのに、と思うのです。そもそも「アートとは何か」「デザインとは何か」「街とは何か」「パブリックとは何か」「現代とは何か」「日本とは何か」等、複合的で実践的な思考を促す、こんなに良い教材はめったにないはずなのに。もし学院の教職員がそのことに気づいていないなら、とても残念なことだと、僕自身若い学生にビジュアル表現を教える立場にある者として、強く思うのです。
寄稿家プロフィール
あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。