COLUMN

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昭和40年会の東京案内

第63回:東京のアート?【前編】
会田誠
Date: January 30, 2008

前回の『東京のアート』 で紹介した“未来美術家”遠藤一郎くんが千葉の家に遊びに来て、面白い話を聞かせてくれたので、それについて書いてみます。全部「又聞き」だから詳しくはないのですが。

JRおよび東横線渋谷駅のすぐ南側、国道246号線が線路をくぐる高架下の壁には、昔からスプレーによる落書き、いわゆるグラフィティがたくさんあったそうです。さらにそこに、ホームレスたちが簡易なタイプのダンボールハウスを作って暮らしていました。だからお上品なマダムなんかは通るのが憚られる、ダークな雰囲気ではあったんでしょう。

それを「改善」しようと地元住民が動き、去年の初め頃、グラフィティを全部塗りつぶした上に、ファンシーな壁画が描かれました。立案したのは「渋谷桜丘周辺地区まちづくり協議会」、依頼されて実際に描いたのは、近くにある専門学校「日本デザイナー学院」の生徒たち。

http://www.ndg.ac.jp/blog/staff/2007/01/

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全撮影:遠藤一郎
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その通路は「渋谷アートギャラリー246」という立派な名前が与えられ、今後1年ごとに壁画を描き換えてゆく予定のようです。第1回となる今回の壁画のテーマは「春の小川」。近くを流れる渋谷川の上流に、戦前の文部省唱歌「春の小川」のモデルになった「河骨川」がかつてあったことから、画題として選ばれたようです。去年の初春には、近所の小学校の鼓笛隊も呼び、背広のオジサンたちがたくさん集まる盛大な完成記念式典が催されました。

http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/04topics/h18/20070314.htm

 

それから4ヶ月ほど経ったある初夏の晩、その壁画の上にまた、スプレーの荒々しいグラフィティが描き加えられました(タギングというらしいですね)。グラフィティをやった側としては、「春の小川」側(主体がどこなのか、いまいちハッキリしないので、とりあえずこの漠然とした名称を使います)こそ公権力の傘の下、自分たちのグラフィティを塗りつぶした卑劣漢なんだから、仕返しして当然と考えたのでしょう。しかし「春の小川」側も黙ってはいません。壁画を修復し、「絶対に犯人を突きとめて処罰してやる!!」といった趣旨の、コワいほど勢いのある張り紙を掲示しました。

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そしてここには、もうひとつ忘れてはならない問題があります。ここで暮らしていたホームレスの人たちのことです。詳しくはわかりませんが、彼らの一部はこの壁画が制作されたのちも、この地下道で寝泊まりを続けました。ここは排気口があるため若干暖かいらしいのです。それは彼らにとって、特に真冬は死活問題でしょう。

すると「春の小川」側は去年の10月20日付けで、「移動のお願い」という書類を張り出しました。ここは「ギャラリーの一部」だからホームレスの人たちは早急に移動してくれ、という趣旨のものです(最後の1行の堂々たる偽善っぷりに僕は思わず笑ってしまいましたが)。

これに憤った2人の「表現者」がいました。この4年ほど代々木公園のテント村でホームレスとして暮らしながら、そこで物々交換カフェ「エノアール」というスペースを作って活動をしている、小川てつオ氏といちむらみさこ氏というアーチストです。彼らは自らのホームページで「アートの名において(ホームレスの、あるいはグラフィティの)追い出しが行われていること」は「想像力の欠乏」であり「なんとも腹がたつ」と訴えました。

 

この呼びかけにすぐに応じたのが、かつて新宿駅西口地下道のダンボールハウス群に絵画を描いていた武盾一郎氏でした。一斉排除が始まる直前の1995年の暮れ、同時期に僕もダンボールでできた『新宿城』をゲリラで設置したので、氏の活動はよく知っています。さらに車上生活者である前述の遠藤一郎くんも加わって、去年の暮れに「第0回表現者会議」というものが開かれました。

http://kaigi246.exblog.jp/

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会議といってもこんな、(笑)な感じです。場所は「渋谷アートギャラリー246」。ところでこの写真の奥の壁は黒ずんでいます。少し前にダンボールハウスへの放火があったらしいのです。それにどんな意味があるのか、やや主観的ですが遠藤一郎くんのメモが参考になるので、読んでみてください。

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ちなみに、いちむらみさこ氏は抗議の意味を込めて、この焼け跡でしばらく寝泊まりすることにしたそうです。聞けば芸大の院を出た僕の後輩のようだし、なかなか可愛いルックスなのに……すごい根性ですね。

 

この会議で彼ら4人は、「春の小川」側の一翼を担った「日本デザイナー学院」に対して、自分たちとの対話を呼びかけるビラを制作しました。そして後日、校門前で配ったところ……再び遠藤一郎くんのメモをお読みください。

このコンタクトの失敗を報告するような形で、その数日後には「第1回表現者会議」が開かれました。そこには、やはりこの問題に憤ったイルコモンズこと小田マサノリ氏の姿もあったそうです。氏のホームページにはこの問題に関して、今世界で話題のアーチストであるバンクシーの壁画と絡めた、充実した論考が載っています。

http://illcomm.exblog.jp/6829832/

 

この話は長くなりそうなので「後編」に送ります。次はもうちょっと自分の主観的意見を述べてみます。とにかくこの一連の出来事自体が僕にとって、善かれ悪しかれきわめて「リアルなトーキョーのアート」だと感じられたので、ぜひここで紹介してみたくなりました。

昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。