COLUMN

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昭和40年会の東京案内

第61回:自転車プリズン
パルコキノシタ
Date: December 19, 2007

パンク直したばかりの自転車を池袋の西口公園に置いといたら、なくなってしまった。犯人はなんと豊島区。要は公園のスミっこに停めといたら区が「放置自転車ゆるさん」てな感じでもっていっちゃったわけ。
まあ、簡単に言えば豊島区からみて僕は被害者というより加害者なわけで、保管所に引き取りにいって、40日以内に手数料5000円を払えば返してくれるシステムだった。こちらに非があるとはいえ、なかなかそのペナルティは安くはない仕組みになっている。

2〜3日考えた後、もう取りに行くのをやめようかなと思った。それは心の底からスッキリしている判断ではないけれど、ディスカウントストアで7000円で買った自転車を5000円で引き取るくらいなら、また新車を7000円で買えばいいじゃないかという発想もある。自転車もついにビニル傘みたいに使い捨ての時代になったのかもしれない。あああオレのママチャリさらば、なんか夢に出てきそう。もちろん後ろ髪はひかれる思いだ。なのでそんな気分を何もかもブログに書いてみた翌日、マイミクのDrさんからこんなコメントをもらった。

 

「自転車、もっと大切にしてください〜。二輪車愛好家のひとりとして、当局のやり方にも、取りに行かない人にも、安かろう悪かろうなチャリをつくらせて売る人たちにも、モンダイあると思います。もっと快適で、素敵で、素晴らしい自転車ライフがあるはずなのに(イデアとしてね)、私たちはいつまでたってもそこに到達できないのが口惜しい」

 

少なからず自分のやましい心のド真ん中を撃ち抜かれたような気のした僕は、自分の中にあるいわゆる自転車が「お金」で買えるものであると同時に、生活の「相棒」であることの二面性に気付いて、さらに数日悩むことになる。この時代、新車を買う事は容易いが、それまでそこに在ったものがある日突然いなくなることへの寂しさのような感情はたしかに胸の中にあった。

 

まあ、それから1週間が経ち日々暮らしていく中で、徐々に自転車のない空白が胸にせまるようになっていった。

あのボロ自転車でスーパーに買い物に行って、レジ袋からネギを落とした思い出。

無灯火で何度も警官に怒られた思い出。

いろいろ考えて、とりあえず一度は豊島区の放置自転車保管場に出向いて、実際自分のチャリがあるかどうかだけでも確認しようと思ってバイクで2駅先の保管所へ行ってみた。でも引き取ると決めたわけじゃなくて、本当に自分の自転車がそこにあるかどうか、そろっと様子見な感じだった。

 

でかい運動場みたいな場所を高い鉄条網が囲んでいる……。学校の跡地を再利用している。言葉にたとえるならプリズン(刑務所)という形容しか浮かばない。人間のいない、荒涼とした空間に誰にも乗られない自転車の海。

 

着いたらもう辺りは夜で真っ暗だ。そこにこう、オニのように延々とならべられた自転車の中から、たったひとつの自分の自転車を探すことになる。回収された日付ごとに自転車が並べられていて、そこで自分はあたりをつけて探し回っていると、ようやく見覚えのあるチェーンの付いている自転車を発見した。後輪タイヤを揉んでみると、なくなる当日入れたばかりの空気がまだ残っていてハリがあるので、どうやらこのまま乗って帰れそうだ。

 

決めた、引き取ろう。その、無情に撤収された自転車のやがてスクラップになるのを待つ群れを見て、やっぱりいろいろあったけど自分のチャリを引き取ることに決めた。7000円で買ったおんぼろママチャリだけど、まあ、カスタマイズしておもしろおかしい自転車にすればまだ乗れるし、愛着も湧くだろう。

 

そのとき、自転車保管場までバイクで来てしまったので、乗って帰ることができないのに気付いた。

「ええ、今日は下見ってことで」

電車で来るときの道順と開館時間を聞いて、日曜日に引き取ることにした。写真がその再会したママチャリ。

 

次の日曜日、天気は青空。空に紅い葉っぱや黄色い葉っぱが舞っている中、引き取ったチャリをこいで自宅へと向かう、電車2駅ぶんの距離を走りながらいろいろなことを考える。

 

あの保管場いっぱいに撤収された自転車群は、人間の都合で放置され、そして撤収され、やがて確実に1日に1列ごとなくなっていく。そしてまた新しい自転車が撤収されていく。自転車の主観で考えるとあまりにむごい、無実なのに。さらに、もったいないのにそれで社会が動いている。止めることはできない。

 

昔は傘だって貴重品だったはずだが、いまや日本人が最もよく電車で忘れるどうでもいいものになっている。自転車がどんどん使い捨てみたいになっていくのは、100%自転車のせいではない。使う側のニンゲンの(俺の)だらしなさのせいだ。安かろうが高かろうが、そこにそれが存在している以上、それをつくった人がいる。どんなクリエイターだろうが同じだ。ものをつくる人はものを粗末にしてはいけないのだ。それは高いとか安いとか、効率とか損得とか経済問題ではなくて、日常生活に生きる意識の問題だ。

昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

ぱるこ・きのした/1965年徳島県生まれ。漫画家、芸術家。教育家。股間で絵を描く表現に端を発し、全身を使った様々なパフォーマンスを国内外でゲリラ的に行い、今では世界中の大規模展覧会の常連ゲリラアーティストとなる。異なる文化圏の世代間の人々と言語を超越した懇親を行う事を作品化している。主な作品に『絵を結婚させるワークショップ』『なぐり描き』『おむすび1ユーロ』『緊急カラオケ会議』映像作品は『特撮ワークショップ』『十日町防衛隊』著書に『漂流教師』『教育と美術』がある。ミクシイネームは公園の木の下。www.digipad.com/digi/parco