
意見は人それぞれでしょうけれど、僕は日本人は日本人らしいアートを作った方がいいし、さらに、東京に暮してる人は東京らしいアートを作った方がいいと思うんですよね、単純に。
ま、いんですよ。国籍とか住んでる街とか、そんなみみっちいことを感じさせない、普遍とかユニバーサルとか目指すものもあって。でも、それはあるでしょ、すでに十分に。不足してるのは、絶対に「東京らしいアート」の方ですよ。
例えば今年僕はムサ美に教えに行ってますけど、「これぞ東京!」って感じの学生の作品にはほとんど出会えません。技術的なレベルは高いんですけどね。あそこは東京郊外の、雑木林とか畑の残ったのんびりした所にあるけど、作品の雰囲気も全体的にそんなトロい感じで、いまいちピリッとしてない。東京芸大も、都心にあるといっても、時間が止まったような上野だしねえ。東京って街は世界的にもっと尖った、変な、狂った街なはずだけど、それがアーチストの卵たちの表現にほとんど反映されない。アカデミーの壁が(日本の場合それは重厚なものじゃなく、薄っぺらな安普請なんだけど、にもかかわらず)街の風を、時代の風を遮っているわけですよ。僕が学生のころもそうだったし、今もそうみたい。
だから立地条件的には専門学校の方がいいのかもしれない。そう考えるとデザインフェスタや村上隆さんのGEISAIの方が、たとえ現状は意識の低いアマチュアリズムが大勢を占めているとはいえ、美大より「強烈な東京オリジナルアート」が誕生する可能性だけは秘めているのかもしれないですね。
あるいは(『六本木クロッシング2007』展はまだ見てないけど)宇川直宏クンなんかが、本当の「東京のアート」の担い手になるのかもしれない——少なくとも彼の態度やキャラクターには、そういうものを期待させる何かがある。そして、そういう要素を昭和40年会の中で最も持ち合わせているのは、パルコキノシタクンだと思うんだけど、どうかなパルコ? もっと太々しく活発に作家活動したらいいのに。
僕はといえば、だいぶ前に『切腹女子高生』って絵を描いたときは、東京を表現しようとしました(ギャル描いて東京って、そりゃあまりにベタじゃない? と言われる向きもあろうけれど、僕はこういうものはベタでいいと思う。エンパイア撮り続けたウォーホルだって超ベタでしょ)。それがアーチストの義務だと思って、ちょっと無理して作った。でもその傾向の作品は量産できなかった。やっぱり、魂がそもそも「都会っ子」じゃないから。そして今では千葉の奥地で、「東京のアーチスト」としては半分引退した身の上です。
前置きが長くなったけど、以下本題。今回は「東京のアート」なんて、大上段に構えたタイトルを付けましたけど、半分冗談です。でも半分は本気です。
要は「僕の弟子自慢」なんですけど。
僕が道半ばで諦めた「本当の東京のアーチスト」の遺志を継ぐようなタイミングで、最近僕の弟子たちが巣立ち、活動を活発に始めました。とりあえず写真をみてください。僕はこれこそ「東京のアート」だと思うんですが、どうでしょうか?
まずは美学校の元教え子で、僕と「愛ちゃん盆栽」を共同制作した加藤愛チャン。現在は「愛☆まどんな」という芸名で、毎週末秋葉原の路上でライブペインティングを敢行してます。ほら、モロ東京でしょ〜。驚異的な早描きが特長。すでに数多くの、なかなかディープなルッキングの男性固定客の心をがっちり掴んでいる模様。この原稿を書いている10月31日現在、彼女はポーランドの首都ワルシャワで、「ジャパンウィーク」という大きなイベントに呼ばれ、きゃぴきゃぴ言いながらライブペインティングしているはず。そのイベントの性質上「アート扱い」ではないみたいだけど、そんなのぜんぜん構わないと思う。


「愛☆まどんな」には敏腕プロデューサーがいる。自称・未来美術家、特殊ミュージシャン、特殊DJ、特殊ファッションデザイナーetcにして、車上生活者の遠藤一郎クン(愛チャンがキャンバス代わりにした車は一郎クンの家)。僕の参加した「ガンダーラ映画祭」では、六本木ヒルズに体当たりし続けるパフォーマンスをやってくれた。写真は、彼が今年の夏「桜島プロジェクト」というアートイベントに参加した時のもの。その主催者であるアーチストの藤浩志サンも言ってたけれど、とにかくキャラクターが抜群にナイス! 絶対に直球しか投げない漢(おとこ)です。

そして、現代美術を見ている人にはもはや「ご存知」といっていい、某アートコンペでグランプリも取った、若手急成長株の「Chim↑Pom」(チンポム)です。僕の元教え子を中心に結成された、紅一点の6人グループ。どんな作風か伝えるために、今まで扱ったモチーフをアトランダムに挙げれば、ギャルが吐くピンク色のげろ、渋谷センター街のドブネズミ、包茎、カンボジアの地雷撤去、ブランド品とセレブ、オレオレ詐欺、富士の樹海で自殺したオタク……etc。低俗なお笑いアートが基本だけれど、同時に、今時こんなシリアスな社会派アートをやる若手は他にいない、ともいえる。そして「東京のアート」ということで何よりも重要なのは、彼ら自身の私生活が、ギャルやニートといった現代の東京の若者そのものであり、その負の側面も全面的に背負うことで作品を作っている、ということです。


ここではなかなか多くを紹介できないので、もし興味が起きたら、下記のホームページを覗いてみてください。彼らこそ東京のアートだ、なんて会田の強弁に過ぎないという異論もあるでしょうが、そんな方こそぜひ彼らを知り、ムカついて欲しい。対立や覇権争いがあってこそ、東京のアートは少しは盛り上がるでしょうから。
愛☆まどんな http://profile.ameba.jp/ai-madonna/
遠藤一郎 http://www.tamakaji.com/ichiro.htm
無人島プロダクション http://www.mujin-to.com/
(Chim↑Pomの作品・展覧会紹介あり)
寄稿家プロフィール
あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。