COLUMN

40nen
40nen

昭和40年会の東京案内

第53回:ネットカフェで連泊してます
会田誠
Date: July 25, 2007
photo

マイブームってわけではないけど、まんが喫茶、別名ネットカフェを、最近頻繁に利用しています。理由は趣味的なものではなく、実用的なものですが。今やディープ千葉県民の僕は、東京に用がある時、なかなか日帰りでは難しく、1泊か2泊することが多いのです。そんな時、ビジネスホテルでは足が出てしまうし、そもそもホテルの独り寝は心が平静でいられず、オナニーばかりしてしまうから嫌なんです。その点ネットカフェは、「ナイトパック」とやらを使うと1000円前後で6時間くらい居られるし、完全にフラットな席を選べればかなり熟睡できるので、下手にホテルで一晩中オナニー狂いするよりは翌日に疲れを残さなくて良いです(ま、ネットカフェでもこっそり1回くらいはしますけど)。

 

photo

どの街のどの店が良いと案内が書けるほど詳しくはないですが、今回写真を掲載した新宿歌舞伎町にあるこの店が、内装が全体的に黒く、落ち着いていて眠りやすいので気に入ってます。他にも渋谷センター街あたりとか、下品で猥雑なエリアの店を、僕はあえて選ぶ傾向があるようです。その方がジュースのおかわりの折などに、深夜の爛れた若者たちの生態が垣間見られて興味深いですから。

 

二畳ほどのブースで無料のコーンスープを啜りながら、僕はつくづく思います。もし僕が今若者だったら、あるいは僕の若いころにネットカフェがあったら、僕は例の「ネットカフェ難民」になってたかも知れないな、と。それは極端な話だとしても、こんな快適さを味わうと、寒い季節に駅の地下道に横たわり凍えながら始発を待った、あのみじめな夜の数々は何だったんだ、と思わずにはおれません(もっとも当時の僕はその「1000円前後」さえ出し渋った可能性はありますが)。

 

photo

現在僕は月に2、3回、こんなプチ上京を繰り返していますが、この生活スタイルはけっこう気に入っています。昔『東京漂流』という本がありましたが(たぶん小沢剛クンの若いころのバイブルですが)、確かに東京という街は漂流にこそ相応しく、定住には相応しくないと僕は感じていました。だから若い頃はホームレスのコスプレみたいな服を着ていたし、わざと終電を逃し、好き好んで野宿してました。寺山修司の「生涯賃貸式の家にしか住まない」というポリシーにも共感していました。けれど気が付けば僕は父となり夫となり、家まで買ってしまいました。その自己矛盾に対する苦肉の策というか、バランスの回復みたいなものなんだろうと思います、この「40過ぎてネットカフェ連泊」という最近の僕の行動は。

 

photo

ウィークデイは大都市でバリバリ働き、ウィークエンドは郊外や大自然で息抜きをする、というライフスタイルは、たぶんニューヨークのビジネスマンあたりが広めたものだと思われますが、少なくとも自分の性に合わないし、東京や日本人のオリジナルな性質から隔たりがあるのではないか、と僕は疑ってます。それとは逆の最近の僕の生活、つまり田園地帯からのプチ上京と、最も猥雑なエリアのネットカフェでの連泊は、僕だけの変わった趣味というより、東京や日本人のオリジナルな性質に照らして妥当な気がしてるのですが、違うでしょうか? 「江戸の庶民の多くは地方の農村に住めなくなった者たちで、下町の狭い長屋で生涯独身のまま過ごした」という昔読んだ話と、「ネットカフェ難民」が、僕には重なって見えます。そしてそれがネガティブなことではなく、「それでこそ東京」という気が僕はしているのですが。

昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。