


「41才の春だから〜♪」。小学生の時いつも腹を抱えて笑っていた『元祖天才バカボン』の歌の一節だけど、なぜあの歌はギャグ番組なのに哀愁を帯びた大人っぽい歌なのか疑問に思っていた。そして41才の自分はどこで何をしているのか、幾度か想像したことがある。しかし、何のイメージも沸かなかったと思う。そして今、41才の春がきてしまったのだが、こんな東京案内をしてみたい。
すみだ郷土文化資料館
浅草からてくてくと川沿いを歩くこと十数分。すみだ郷土文化資料館に着いた。お目当ては『東京空襲を描く人々 空襲体験者の記憶と表現』展(2/10〜4/15)だ。被災者から寄せられた地獄絵図はたどたどしい線やタッチながらも、悲惨な体験を想像させる。おばあさんがため息をつきながら見ていた。その中でとりわけシャープな絵が目を引いた。一昔前のイラストのような表現だが、非常にリアルに訴えてくる。作者は狩野光男とある。解説を読んで驚愕した。まさかと思ったが、彼は日本美術史上最大の画派、狩野派の末裔だった。14才で空襲に遭い、孤児となった。進学の道を閉ざされるも、看板の絵などで生計を立てながら絵の修行をしていたそうだ。そして空襲の絵を描き始めたのはごく最近のようだ(*1)。
東京大空襲・戦災資料センター
最も戦禍の激しかった江東区北砂で2002年に開かれたばかりの、民営の施設だ。充実した資料が所狭しと展示されている。


恥ずかしながら、ここで初めて知ったのは、東京大空襲では広島に迫る10万人もの死者が出たこと、米軍は合理的に東京の下町を焼き尽くすために、アメリカの砂漠に長屋をたくさん造って空襲のシミュレーションを繰り返していたこと。また、無差別攻撃の作戦の指揮をとった少将に日本政府は勲一等旭日章を授与していることを知った(*2)。ひとつ残念なのは、見せ方がいまひとつ洗礼されていないこと。優れた資料でも展示の仕方一つで伝わり方が大きく変わってくると思う。いつかワシントンのホローコスト博物館で見たユダヤ虐殺の展示は、計算し尽くされた完璧な展示で、言葉を超えて多くのことを訴えてきた。
センターの方に勧められ近くの妙久寺に行ってみた。空襲の爪跡は東京には殆ど残されていないが、黒く焼けこげたこの墓の色は当時の激しい火災を想像させる。
横網町公園
最後に訪れたのは両国の横網町公園。公園の中でひときわ目を引くのは、花に覆われた記念碑だ。ここには子供たちがよじ登って遊んでいる。この中に空襲で亡くなった人たちの名簿が納められている。

子供たちの歓声が無念に死んでいった魂を浄化してくれるような気がした。ふつう、石を使ったこの手の記念碑は威圧感があって近寄りがたいが、花のおかげか、優しい丸みのためなのか、威厳を見せながらも、開けた感じに思えた。花のデザインは公募で季節ごとに植え替えていろんな表情を見せているそうだ。作者は現代美術作家の土屋公雄である。
ところで僕の母親は、麻布十番で生まれ育ち、やはり空襲を体験している。ぼくは何度もその話を聞いて育っている。燃えさかる十番街にちらばる焼けこげた死体を幼い足で飛び越えながら逃げたこと。焼夷弾の火が自分の服に燃え移り、通りすがりの人に消してもらった話。その時の恐怖が未だにトラウマとなっているという。自分には、母の心に刻まれた深刻な恐怖を理解できるほどの想像力は無かった。
僕は20代の頃、ミャンマーのゲリラキャンプに行ったことがある。たいした動機も目的もない。2004年にイラクで拉致され、日本政府から見殺しにされた若者がいたが、きっと彼と同じような気持ちでの行動だったかもしれない。
ゲリラの連中の多くは、銃を持っていない時間は実にフレンドリーでいいやつばかりだった。しかし、ひとたび銃を持つと別の人間のようだった。ある日、政府軍による本格的な爆撃が始まった。火薬のにおい、何かが燃えるにおい、轟音、地響き。マラリア患者の兵隊が僕の隣で咳き込んでいる。狭い防空壕の中でふるえる愚かな僕は、その時初めて後悔をした。そして、母親の東京大空襲の体験話を思い出していた。
人間誰しも感情にまかせて拳を振り上げることもあるだろう。しかし、それを押しとどめるのは人間としての「理性」だ。私たちには「理性」という名の平和憲法がある(*3)。今まさにこの平和憲法を無くそうと政府が躍起になって動いている。その姿は誠に醜い。その「理性」をかなぐり捨てようとする国家が「美しい国」というのなら、そんな国はいらない。戦争をすることを認めた国になるということは、再び地獄絵を世界のどこかに、あるいは東京に作ろうというのか? 平和とか正義とか言う言葉ですり替えて……。いまこそ、東京大空襲という地獄を生き延びた人たちの言葉に耳を傾ける時だ。
戦争や平和のことを書こうとすると(きっと自分がそういう卑しい人だからだろう)妙なイデオロギーとか宗教とかで書いたのかと誤解されそうなのがいやでいやで仕方がない。あくまでも、作家の良心、人間の良心で今回の文章を書いているつもりです。普段は、平和平和と叫ぶ声を聞くと、まるで暴力を賞賛している言葉と同じぐらいうんざりしてしまうのに、今回は勇気を持って書きました。だって41才の春だから!
- *1
- まだ詳しい情報はありませんが、8月から第4期の空襲画展が始まります。
- *2
- 戦後1964年、カーチス・ルメイ少将は航空自衛隊の育成に貢献したとの理由で勲一等旭日章を授与した。これに対する評価は日本国内外で未だ分かれている。
- *3
- 日本の憲法はアメリカの押しつけとよく言われるが、平和憲法の9条は、戦後初代総理大臣の幣原喜重郎が作ったという説も有力だそうです。(参考)
寄稿家プロフィール
おざわ・つよし/美術家。1965年東京生まれ。東京藝術大学在学中から、風景の中に自作の地蔵を建立し、写真に収める『地蔵建立』開始。93年から牛乳箱を用いた超小型移動式ギャラリー『なすび画廊』や『相談芸術』を開始。99年には日本美術史への皮肉とも言える『醤油画資料館』を制作。2001年より女性が野菜で出来た武器を持つポートレート写真のシリーズ『ベジタブル・ウェポン』を制作。2004年には森美術館にて個展『同時に答えろYesとNo!』を開催。