

今年卒業したばかりの女生徒を乗せて東京湾を走った。「桜は好きだが人混みは嫌い」な自分は、できるだけ人のいない場所へ彼女を連れ出そうと江東区から中央区にかけて埋め立て地を撮影しながら2人で周回する事にしたのだ。取材を理由に写真が撮れる人を捜していたところ、ひとりの女生徒が思いあたる。カメラマンになる気なんてこれっぽっちもないくせに、いつもいい写真を撮り続ける彼女の立ち位置が好きだった。彼女は「なぜ自分?」な様子だが、その辺の理由は敢えて曖昧なまま、レンタカーで殺風景なリバーズエッジをひた走る。
輝きを秘めた原石のような才能を持ちながら、本人いたって無欲な学生を見ていると、「自分がこの子をサルベージしなければ」とたまに激しい使命感のようなものに襲われてしまい、気付けば自分が作品を作るどころではなくなってしまう。あるいは彼女が作品を作っている姿を見て自分の事のような気分に陥るときがある。だがしかし、そういう子に限って「あるがまま」をライフスタイルの信条にしているので、いわゆる僕は余計な存在。その子の人生は非常に素晴らしく完結していて、僕のような美術教師の存在を認めない空気すらある。一方、なんとかそういう生徒の人生や作風に介入したい野望で、教育という形でいいから価値観を共有する事はできないのだろうかと模索をはじめたりするのが自分。非常に危険な事にこの衝動はいわゆる恋愛における嫉妬のような感情などと酷似して、さらに焦りのようなものを増長させる。

「荒川のリバーズエッジからヘリポート」
東京湾は東京のエッジだ。自分もいつもセンターラインギリギリを好む逆走願望の強い人間なのでエッジに惹かれるのはある意味しかたがない。夢の島から木場へ抜けると「東京ヘリポート」が見える。そこは鳥のように哭く生き物のような機械の「巣」で、延々と叫び声をあげながら警視庁だのNHKだのと名前の付いた鳥たちが飛び立っては帰着している。機動警察パトレイバーの特車2課の原型でほぼ間違いないであろう風景はまさに殺風景。とにかくコンビニがないのはいい事だ。このヘリたちにはそれぞれキャラがあり、体を大きく揺らしながら派手に飛び立つものもあれば、お座敷で正座をしているようなのもいる。気になったのは、1時間ほど離陸もせず回転翼を回し続けた結果、その場で90度旋回しただけでエンジンが止まってしまった小型だ。航空学校所有のそれは結局飛べはしなかった。いや、ヒナは飛ぶ順番を待っているのかもしれない。


「プロッペラ」
江東区にある風力発電の風車は、遠くから見る風情と、真下から見上げる凶暴さとのギャップがあまりにも激しい。鋭利な羽が巨神兵サイズで、繊細な人は見ろと命令されるだけで充分に拷問マシンになりそうだ。特筆すべきは江東区区民。こんなに凶暴な武器が回転しているにも関わらず、真下でバトミントンや食事をしている。例え土壌が汚染されていても、工業地帯に包囲されていても動じない。そういえば女生徒も江東区民で、その辺どうなのかツッコミを入れてみたがやっぱり「変だ」とは思っているらしい。だがむしろその殺伐さを江東区民は自慢しているのではないかとも取れ、証拠に女生徒自身も写真のモチーフとしては壁の染みとか、工作機械の部品とかいわゆる人間にはない造形ばかりを好んでいる。その風力発電機が環境問題に貢献しているとかどうでもよくて、プロペラの柱に描かれた手塚治虫の絵がいけてないとか、どうやらそういう方に関心事はあるようだ。つまり、この人工物こそが江東区民や女生徒にとっては「自然」で、近代の洋画家が好んで旧家や自然物をモチーフに油絵を描いたように、東京の住民にとって人工的大自然は既に癒しを与え始めているのか。これは彼女を観察していて大変参考になった事だ。


「フェリー埠頭で何かを待つ人」
僕は美術をするために西から上京してきた人間なので東京に20年住んでいても旅の感覚が抜けない。なのでフェリーを見ると懐かしく思う。だが生粋の江戸っ子である女生徒は懐かしさとは違う形で巨大なフェリーに好奇心を抱き、いきなりダッシュして写真をとり始め、汽笛の轟音で警告を受けた。今は原油の高騰やスピードの遅さから船を交通手段に使う人は減少している。安い高速バスや早い飛行機に比較して斜陽の一途をたどるフェリーだが、これほど人の心に旅情をかき立てるものもなく、「いいぞ船旅は!」という問いに「いいすねぇ」という返答が返ってきた。
コンクリートの固まりで築かれた波打つトーキョーも、東京湾の向こうにある本物の外海もおそらく大差はない事に彼女は気付いている。そして今我々の立っているリバーズエッジこそが世界の中心である事にも。

人の関係を映し出すには、都会はモノが多すぎる。何も無いところに人が居て、そこで感じる心とは愛みたいなものかもしれないしそんな安いものじゃないかもしれない。その履歴も経験も全く違う自分と女生徒の平行線の見学ツアーは、それぞれの新しいプランを生むために仕組まれたものだった。
寄稿家プロフィール
ぱるこ・きのした/1965年徳島県生まれ。漫画家、芸術家。教育家。股間で絵を描く表現に端を発し、全身を使った様々なパフォーマンスを国内外でゲリラ的に行い、今では世界中の大規模展覧会の常連ゲリラアーティストとなる。異なる文化圏の世代間の人々と言語を超越した懇親を行う事を作品化している。主な作品に『絵を結婚させるワークショップ』『なぐり描き』『おむすび1ユーロ』『緊急カラオケ会議』映像作品は『特撮ワークショップ』『十日町防衛隊』著書に『漂流教師』『教育と美術』がある。ミクシイネームは公園の木の下。www.digipad.com/digi/parco