

白山通りを神保町から水道橋に向かって右側の路地をちょこっと入ったところにある。胡麻油の匂いに惹かれて昼過ぎから行列ができる。近所に軒を構える“天丼”や、“とんかつ”のいもやでなくて、あくまでも“天ぷら定食”のいもやに私はこだわる。ご注意!
この師走になって、珍しく丸々一週間仕事が続いた。同じ雑誌の依頼で連日ポートレイト撮影。最終日の金曜、晴天真昼のロケを30分で終わらせ解放感、「ここは久々にちょっと贅沢」とアシスタント連れ立ち恵比寿は「筑紫楼」に飛び込んだ。ランチタイムなれど高級中華のメニューにどぎまぎするアシスタント(♀/26歳)にはあえて選択権を与えず、私の定番すかさずオーダー。「ふかひれ入り煮込みつゆそば。食後にアンニン豆腐。二人分」。目の前に現れたそのトロトロと熱く濃厚なスープを慌てて啜ってあいかわらず口中火傷しながらも麺をかきこみ、続くデザートの白さと冷たさとキリリとした甘さに驚嘆しつつ、気付けば3年振りの美味にご満悦の私にふとアシスタント、
「これは松蔭さんの、死ぬまえにもう一度食べたいごちそうの一つですか」
と、すっとんきょうなことを尋ねてくるから、即考え込むことになった。

油ものを扱い続けているとは信じがたいほどにサラサラスベスベと美しく清潔な白木のカウンターにホレボレして頬ずりしたくなるほど。店主のリズミカルな天ぷらの揚げっぷりを観賞するだけでも心がほころぶ。
さて、今まで食した物の中で私を熱狂させたもの……伊勢海老の活造り、蒸しアワビ、鴨肉のロースト、キャビア一瓶、ドイツ料理屋でのアイスバイン、バルセロナで毎夜食べたタコ刺し、ナポリ四つ星レストランのボンゴレビアンコ……まだまだあるように思えるがキリがない。しかも、「死ぬ前」にそんな贅沢を望むかどうだか。「なにもいらないから死ぬのではないか」なんて哲学ぶって答えるのも情がないから、さらに考えるうち、それは散歩の最中にほおばる肉屋のコロッケやら、日曜のスーパー前の焼き鳥屋台の皮串や、小腹満たす『梅もと』のかき揚げそばであったり、帰省すれば飛び込む『ウェスト』のゴボ天うどんだったり……ごちそうと呼ぶにはあまりに庶民的で安価な、日常に転がっているしみじみとした味わいの中にあるのではないかと思えてきた。

サクッと見事に揚がった、えび、きす、いか、南瓜、春菊。これにもりもりのつややかなご飯としじみの味噌汁がついて600円という破格の値段。特筆すべき名傍役・取り放題のタクアンがまた絶品、これだけでもご飯がいける。
「そうか、明日は土曜だ、美學校だ。うん、それは神保町にあるぞ」
翌日、いつもより一時間早めに起き出し、定番の自家製朝定食はお休みして腹をすかせたままバイクに跨がり、神保町へ向かう。古本屋街として知られるこの街だが、私にとっては、『美術手帖』の美術出版社のある街として通い知った場所。ほぼ二十年前、当時入社したてだった楠見清さん(現在は退社してフリーで活動)に、社の近所の旨い店変わった店定番の店と、度々連れて行ってもらって、「ああ、これが東京だ。レトロ〜いいわあ」と感嘆したものだ。さらにはこの街に古くから根をはる「美學校」で講師を務めるようになってはや6年。ほぼ毎週通うのだから、もうそんなおノボり気分は消え去り馴染みの街と化した。そんな神保町に、いまだ行列に紛れ込んででも通いたい店がある。

常連客はほとんどご年配。最近改装されたここも白木のカウンターがまぶしく美しい。生ビールに続いて日本酒をチビリチビリと舐めながら、肴は、「にこみ豆腐」と「じゃがベーコン」を必ず注文することを忘れない。隣の餃子屋「スウィートポーズ」の焼き餃子もビールとセットで昼間っから楽しみたい。
『いもや』の天ぷら定食。それが、私が死ぬまえに、もとい、「死ぬまえにも」食べたいものである。特別上等でも格別絶品でもない、特筆すべき決定打を持たないようなものだから、「松蔭の舌も大したこたねえな」とガッカリした人もいるかも知れない。だけどなんだか、されどやっぱりコレだと勝手に納得して暖簾をくぐる。完璧なまでに清掃の行き届いた店内に充満する胡麻油の匂い。時間がまだ早いか、並ばずスンナリと席に通されるなり迷わず一言、「天ぷら定食!」。それから揚がるまでの間、初老組から学生に労働者組までが皆、静かに、静かに待つ。油の大鍋から目線そらさず黙々と作業を続けるおやじさんの背中を観ながら、隣の先客のかじりつく音に耳をそばだて、溢れる唾液をぐっと呑み込みながら待つ。それは夢の中のように優しく幸せな時間だ。果たしてその天ぷらが目の前に運ばれるなり、ただただ無我夢中にサクサクとかじりつき、白飯をかき込み、しじみの味噌汁を啜る至福。仕上げにカツ節のよく利いた薄切りタクアンで残りの白飯をかっこんで満腹と笑み。すかさず注ぎ足された出がらしの緑茶を啜ってお勘定。たった600円で得られる大きな幸福の余韻に酔いながらも勢いよく店を出るのである。
東京は青空。時計はキッカシ午後一時。さあ教室へと歩み始めれば携帯が鳴る。

そしてこれが、我らがビガッコウの看板。学校というよりアジトというほうがしっくりくる立地とスペース。このイカすロゴのデザインは、講師もつとめていた赤瀬川原平氏による。
「あ、先生ですか。今日はなんだかみんな風邪とか用事あるらしくって学校に一人もいけないらしいんですよ。どうしましょう」
「どうしようもこうしようもない。前もってせめて前日にでも言ってくれなきゃ。今からじゃ休講にはできないよなあ」
学長にその旨伝えれば、「まあ、しょうがないじゃない。今日の分はちゃんとつけとくからご自由に」なんて優しい。それじゃ不労所得ではないですかなんて心苦しくも、「ではお言葉に甘えて」とバイクほったらかしで再び街へ。古本屋で、『野坂昭如/騒動師たち』を発見。ちょいと高いが購入するなり湧きたつ読書欲と連なる呑欲に従うままにすずらん通り。明るい時間から堂々開店の老舗居酒屋「浅野屋」に飛び込み生ビール。ピリピリと舌から胃袋を刺す黄金色の泡沫を楽しみながら、無頼の書物耽読劇のはじまりはじまり。この男、もうじき四十一。「これもお勉強、これぞお勉強」とひとりニヤける。
「天ぷら いもや」本店
千代田区神田神保町2-16 03-3261-6247
隔週水曜日定休 11:00〜20:00
※「美學校」では07年度の受講生を募集しています。松蔭浩之の講座「現代美術演習/ヨレヨレアートコース」は毎週土曜日開講(午後1時〜5時)。どしどし御参加ください!
寄稿家プロフィール
まつかげ・ひろゆき/1965年福岡県生まれ。88年大阪芸術大学卒業。現代美術家。90年アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」でヴェネチア・ビエンナーレ・アペルト部門出展。以後個展を中心に国内外で活動。写真、パフォーマンス、グラフィックデザイン、ライターなど幅広く手掛け、アート集団「昭和40年会」、宇治野宗輝とのロックデュオ「ゴージャラス」でのライブ活動でも知られる。