


戦争がもし起きたら。そんな想像や危機感の高まりはいま、キオスクの雑誌の売上にも貢献しているように思う。しかしいざ戦闘状態に陥ったら我々国民の盾となる「防衛庁」という組織は、東京の市ヶ谷に本部がありながら、極めて遠い存在。そこで、僕にとっての曖昧さを払拭すべく見学を申し込んだ。折しもいま僕は学校で生徒を色々な場所に連れて行くゼミを展開中で、今回のテーマはまさにうってつけ。「生徒と僕と自衛隊」だ。
まず事前に電話予約をして、2週間前に参加者名簿をファックスで送る。ちなみにパルコ木下という名前は通用しない。戸籍上の名前しか採用されず、何度も提出し直した。そして当日、自衛隊の「5分前の精神」にのっとって15分前に防衛庁正門前に集合。なんと、先客である新卒採用警察官200人と合同で見学ルートをまわる事になる。


見学スケジュールは極めて正確で、誤差は1分以内。ガイドのお姉さんは美人だが彼女もまた防衛庁職員。有事の際には盾となることを使命とす。おそらく、この正確さも訓練に違いない。例えばこの床のタイルは何枚とか、多少どうでもいい事も丁寧に説明してくれる。
見学コースは限定されていて、我々は2列または4列で行進するようなスタイルで歩く。普通の見学と違う所は、展示室に入る度に点呼を行う事ぐらいか。
正直言って面倒だがこの用心深さがさすが防衛庁といったところだ。万が一、入りと出の点呼に違いが有ると不審者が侵入したということになり、エマージェンシーとなるのだろう。開かれた自衛隊でもあり、閉じられた自衛隊でもある。ここが軍隊である事を忘れてはいけない。


東條英機ほか、戦犯と呼ばれる人達を審判した極東軍事裁判の行われた部屋は、ほぼ完全な形で保存されている。資料云々はネットでもさんざん拾えるのでここでは僕の印象を記す。実際には建物全体をそのまま残しているわけではなくて、新庁舎建設の折りに部分的に移設再現しているので、見た目の印象が非常にコンパクト。移設建築としては屈指の完成度で、おまけにバリアフリー化されていた。かなりいじくっているにも関わらず、有るものに手を加えていない。空気までもが昭和の負けをしっかりと継承し、しんみりした雰囲気を醸していた。
遺書、遺品に関するものは撮影禁止。しかしその他は特に禁止事項もなく、気ままに記念写真を撮る事が許可された。そんなとき広報課の人が教育勅語のコピーを持ってきて、「ご自由にお取りください」と言うと警察官200人の人だかりが出来、数十枚あったコピーは一瞬でなくなった。特に全員がマニアというわけではないのだろうが、なんとなくこの場にいると、昔の人に教えを乞いたくなる気持ちになる。そんな厳粛な雰囲気ではある。

三島由紀夫の自決場所となった部屋もそのままの状態で残されている。もみ合いになった時にできた刀傷も3カ所、そのまま保存されている。当時5才だったパルコは、おぼろげながら、世の中が殺伐としていた時期に事件があって大人がなんとなく大騒ぎしていたという記憶がある。結局三島の「決起せよ」という問いかけに誰も奮起しなかった日本は、予定通りにダメダメなニート時代を迎えてしまったわけだが、いまここにいる若者達にとっては三島事件も完全な「昔話」である。まあ不祥事もいまでは防衛庁の立派な歴史の1ページ(自慢)に収まっている。不思議だ。
延々と、言われた通り忠実に見学していると、徐々に違和感を覚えてきた。自衛隊は、警察が踏み込めない災害現場にも体を張って救助に向かうし、イラクの人道支援では命をかけて地雷の除去もした。だけど、自分がいま観ているものは何かと言うと、戦車や戦闘機のミニチュアとコスプレである。これは「武装」だ。どれだけ人道支援をしていても自衛の為の武装集団であり、外敵の国土への侵略行為を許さない、備えの軍隊が本職であることには違いない。つまり、人道支援、災害援助はとても立派だけど、それは彼らにとってのアルバイトのような気がする。とても立派なバイトをすることで、365日戦争準備をしていることをチャラにできるかというと、それはそれこれはこれ、ではないだろうか。ならば現在のロシアや中国や北朝鮮や国際テロ組織との間の危険を正確に広報し、国防の具体的な状況を説明してくれる方がむしろ適切だと思ったのも事実。いまも自衛隊では毎年殉職者がでていて、例えそれが事故であっても兵器を扱っての事故なら戦死には違いなく、慰霊碑は靖国神社にまつられる御霊となんら差はないだろう。
帰りの際に広報課の方に「また学生連れてきてください」と言われた。「ええまた来年」と答えると「来年と言わずもっと来てください」。さらに「今度来てくれたらヘリに載せてあげます」と言われた。なので「自衛隊まつりに行きたい」と言ったら「それは防衛庁関係者だけなのでダメ」と言われた。
寄稿家プロフィール
ぱるこ・きのした/1965年徳島県生まれ。漫画家、芸術家。教育家。股間で絵を描く表現に端を発し、全身を使った様々なパフォーマンスを国内外でゲリラ的に行い、今では世界中の大規模展覧会の常連ゲリラアーティストとなる。異なる文化圏の世代間の人々と言語を超越した懇親を行う事を作品化している。主な作品に『絵を結婚させるワークショップ』『なぐり描き』『おむすび1ユーロ』『緊急カラオケ会議』映像作品は『特撮ワークショップ』『十日町防衛隊』著書に『漂流教師』『教育と美術』がある。ミクシイネームは公園の木の下。www.digipad.com/digi/parco