COLUMN

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昭和40年会の東京案内

第35回:【番外編】東京なまぬるきかな
松蔭浩之
Date: October 25, 2006

『東京案内』としては異質だが、今回はあえて(初めて)東京を嘆く。お店の紹介はない。どうか「番外編」としてお付き合い願いたい。

 

ふた月前、私はシンガポールに居た。話題のシンガポール・ビエンナーレに招待作家として参戦。多民族多宗教多言語がゴチャ混ぜになっていることで知られるこの小さな都市国家に、「BELIEF〜あなたは何を信じるか」というテーマのもとに選出された世界中のアートが集結。私にとっては、早すぎた90年のベネチア最年少参加から数えて16年振りのビエンナーレ。まさに、初心に戻る気合いで臨み、自分なりに最良の結果を出しきった高揚感と充足感に満たされた貴重な時間を過ごすことが出来た。

 

キュレーターのR氏のおすすめでオーダーした「LAKUSA(ラクサ)」。激辛ちゃんぽん? ギトギトと赤く光るスープに浮かぶさまざまな具材のカオスにしばし脅え構えるも、一口すすればココナッツミルクベースの柔らかい味と見事な塩梅に至福を覚えた。
インド料理の定番であるカレーもここにくれば、メイン具材に巨大魚のお頭を迎え、名物料理「フィッシュヘッドカレー」となって現れる。飲み物は「ライムジュース」、辛さがスウッと消えてゆく。

人生初めての東南アジアの地は、ひたすら真っ白に塗り込められた建造物の印象からか、思いのほか保守的で清潔で快適に思えた。が、数日暮らすうち、ほぼ赤道直下の熱帯気候に汗が吹き出しめまい息切れ、涼もうと建物の中に駆け込めば冷蔵庫並みの過剰な空調に辟易。正直な身体は心より先に、「バテるまえにメシ!」と音をあげ出すから、迷わずフードコートに飛び込む。そこで、マレーにインドネシア、タイ、むろん中華を中心に、コリアン、イスラム、アラブにインドと、ありとあらゆる食材と調理法の混在しせめぎあうさま…「これぞこの街のリアル」と、食文化を目の当たりにして衝撃を覚えた。多種多様の臭気色彩放つ料理の盛られた皿や丼を思いのままに目前に並べ、まっすぐに向き合うように喰らいついてゆくさまざまな肌の色をした人々のさま。なんというか、暑さ寒さの極の中に居座ったものたちの、エクストリームな生きざまに驚愕を覚えつつも、「これはもうおなじように喰うしかない!」と決意させる大波に呑まれた。それから、同行した会田誠ファミリーや有馬純寿と連れ立ってあちらこちら、喰い事に覚醒した頭で二週間。ご当地ビール「Tiger」はほどほどに、普段は酒に占領され小さくなった私の胃袋に、なぜこんなにも入るのかといぶかしがりながらも、二六時中あらゆる食べ物をガツガツ喰らうように流し込んだ。


現地スタッフの日系人アキラさんに連れて行ってもらったチャイナタウンの「南京ダック&ポーク」は絶品。ビールのつまみはもちろんだが、これをおかずにインディカ米をかきこむのが一等素晴らしかった。

特筆しなければならないのは、その安さ、そして新鮮さであろう。なんてったって食材そのものに力がある。秋葉原みたいな電気街の地下にある巨大なフードコートですら、新鮮で旨いのだ。値段はどこでなにを頼もうが3〜5シンガポール・ドル。日本円に換算して200円から350円くらいだからまいってしまう。「いちいち極端でなければ気がすまないんだオレたちはよ」と、東京人である私をせせら笑っているようだった。

 

二日酔いの朝食としてすすったフィッシュボールヌードルのあっさりと身体に沁みたことも忘れられない。(会田誠の長男・寅次郎くんもご満悦)
野菜の欠乏を覚えれば迷わずチャイナデリに駆け込み、「一肉二菜」コースをオーダー。ランチボックスにしてもらい展覧会場まで持ってって食べたのも愉快だった。

そんな「食への信念」を誇示する街で格闘した日々を終え帰国するなり、とたんに気持ちは萎えた。食欲の秋だというのに、どうにも食べる気がしない。バテたかどうだか。いやいや問題はそれ以外で、それ以上に深刻だ。

我が東京の「食」へのズサンさよ。アメリカから格安で送られてくるホルモン漬けの狂った牛の死肉を喜んで喰らい、薬品だらけのフニャけたハウス野菜の高値に嘆きつつもついばみ、保存料まみれの菓子をカバンに忍ばせ、なにやらワケの解らぬビールもどきの雑酒を「うまい!」なんて宣伝されるがまま大量消費。殺す気か、それとも死ぬ気か? 本場知らずの本物志向行使するのに糸目はつけぬがモテ男の条件? 小銭稼げば気が大きくなるか、ダイニングバーにカフェで散財の舞。なにが焼酎バーだ、お次は梅酒がトレンドだと。大きくふかして金をむしりとること当然の店員に、苦言はおろか疑問も抱かず素直にサイフ開く中流気取りのヤンエグよ。なにが御当地ものだ、産地の表記にどれだけの意味があるというのだ。グルメ大国などと自惚れてる場合か。肝心なのは「鮮度」だろう、「安全」だろうが! もはやここには、食生活はおろか食文化、いや、食そのものの本質、「摂取/命いただきます」という心が消失している……。


「カップヌードル LAKUSA味」。シンガポール最後の夜、ホテルの部屋にもどってからもまだ食べる。しみじみ素晴らしいと唸りながら食べた。

あの二週間に平らげたさまざまな食事を、今思い出すだけでもよだれやら汗やら、あらゆる体液がにじみ出すようなゾクゾクした感覚がよみがえる。

数ある名料理珍品の中で、最も代表的なものに、『海南鶏飯』(シンガポール式チキンライス)があげられる。その絶妙たる旨さは筆舌の域を超えていた。現地の名店はじめ、あちらこちら朝昼夜となく幾度も食し、帰りのフライト直前にも空港のレストランで食べ納めしたほど。うっかり記録を撮ることを忘れていたほどだったことが、その陶酔ぶりを示すだろう。

 

帰国後、このチキンライス専門のレストランが水道橋や恵比寿など東京のあちこちにもあると聞いた。是非足を運ぶべしと思いながらも、これとて上品ぶったカフェ飯気取って小洒落た細工ほどこされた東京気質のフィルター越しの一皿……「まあどうせ生ぬるかろう」と気持ち萎えるまま、グウッとなる腹にビールを流し込む午後である。

昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

まつかげ・ひろゆき/1965年福岡県生まれ。88年大阪芸術大学卒業。現代美術家。90年アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」でヴェネチア・ビエンナーレ・アペルト部門出展。以後個展を中心に国内外で活動。写真、パフォーマンス、グラフィックデザイン、ライターなど幅広く手掛け、アート集団「昭和40年会」、宇治野宗輝とのロックデュオ「ゴージャラス」でのライブ活動でも知られる。