


前回の原稿で半ば冗談めかして書きましたが、本当にやっちゃいました。東京脱出。都落ち。
落ちて行く先は、房州は九十九里浜——と書けば海辺の素敵な白いバルコニーを想像する向きもありそうだけど、さにあらず。浜から陸に4キロばかり入った、これぞTHE田園地帯。新潟市育ちの僕もビビる本物の農村、その片隅にあるボロい一軒家です。夜明け前から向かいの農家が飼う鶏たちのけたたましい鳴き声で眼を覚ます、そんな鶏糞の臭い漂うロハス生活がすでに始まっています。
今回は賃貸ではなく買っちゃったので(もちろん人生初。なんせここら辺はホントに激安なので)、もう後戻りできない。夫婦共に後半生、一ディープ千葉県民、息子もディープ千葉っ子。覚悟を決め、不動産屋の書類に震える手でハンコを押しました。
東京暮らしの違和感は前から感じていて、ことあるごとに「東京はもうイヤだ」「イナカが俺を呼んでいる」とボヤいてきました。この連載も他のメンバーに比べ、テンションが低くて申し訳なかったですが、それが単なるスタイルではなかったことだけは御理解ください。

しかしいざとなると、やはりいろいろ後ろ髪を引かれる思いがあるのも事実。都会のキラキラした夜の光や、垢抜けた美少女たちの誘惑もさることながら、マジメなお仕事の問題もありまして。つまり、本質的に大都市型の文化である「現代美術」(これは僕の持論だけど、たぶん正しい)に属して仕事をする者として、東京脱出は、金魚が水槽から飛び出るような自殺行為に近い愚挙だとは分かっていますから。「イナカ行ったら作品が愚鈍になって作家生命終わりかも」「仕事干される」「忘れられる」みたいな不安は当然あります。けれどそれを上回るほどの脱出願望が、僕の中でいつの間にか肥大していたようです。
もっとも九十九里あたりは、ディテールはド田舎でも、ぎりぎり首都圏内と言えなくはなく、いかにも気弱な妥協点ではありますが……。
最近「あなたにとってトーキョーとはどんな街か」という質問に、外人さんたちに向かって答える機会がありました。森美術館で開催後、ベルリン市立美術館に巡回した『東京—ベルリン』展のトークショーでのこと。40年会の小沢剛クンも同席してました。

日独の若手アーチストが、みんなこの都市の成り立ちのユニークさを称揚するなか、僕に順番が回ってきました。僕は座が白けるのは承知しながらも、まずは「東京が好きか嫌いかと訊かれたら、嫌いと答えます」と語り始めるしかなかったです。
続けて「だから僕は東京をテーマに作品を作ったことはありません。けれど日本をテーマに作品を作ったことならあります。ていうか、僕の全作品は日本がテーマといっても過言ではありません。えーと、つまり、東京は日本の中で特別な場所で、僕は特別な場所に興味がないんです……」みたいなことを、しどろもどろ喋った気がします。
その晩、ホテルの部屋で酒を飲みながら、いつものように一人反省会。その時に考えたことを、たぶん今回のエッセイと繋がる部分があると思うので、ここに書いておきます。

架空の、僕の流暢なトークの続き。「……つまり日本を一軒の家に喩えるなら、東京は見てくれの良い玄関や応接間のようなものです。けれど私が常に興味を引かれるのは、その家の秘められた本当の姿が覗ける、寝室なのです(ここでお上品な聴衆たちがクスリと笑う)。例えば、この森美術館のある六本木という街は、東京で最も特殊な場所です。道行く外国人も多いこの街は、きらびやかな玄関、応接間であり、おそらくみなさんは、この街が日本で最も居心地の良い場所と思うことでしょう。しかし私のような人間——まあ一般的な日本人と自分では思ってます——が、日本で最も居心地の悪いと思う場所、それこそが六本木なのです。御清聴ありがとうございます……」。ま、こんな憎まれ口の長広舌、やらない方が良かったでしょうね。
そんなわけで今回の纏め。
さよなら玄関、こんにちは寝室。
さよなら東京、こんにちは日本。
寄稿家プロフィール
あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。