COLUMN

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昭和40年会の東京案内

第28回:中央線が、嫌いだった
会田誠
Date: June 14, 2006

中央線が、嫌いだった。

例えば、フォークソング『神田川』が、嫌いだった。

子供の頃から、つまりリアルタイムで、嫌いだった。

子供心にも、あの人間性の矮小さは、明白だった。

ただの性器の結合をもったいぶって語ったりする、
自民党員より農協組合員よりズルい奴ら。

ヒッピー。サヨク。

その末流である、
ひとりよがりに絵具をこねくる、
「自由」以外の言葉を知らない脳味噌パーなビジュツくん。

薄っぺらな人生観をパターン通りのコードに乗せて歌い、
バカゆえに濡れやすい小娘の股間を効率よく漁るオンガクくん。

それらと似たり寄ったりなエンゲキくん。

エトセトラ。

 

東京に行っても、中央線にだけは住むまいと、心に誓った。

十把一絡げの、雑魚なカルチャー若造にだけは、なりたくなかった。

そういう「自己表現カス」が、東京には、
特に中央線あたりには、ウジャウジャ蠢いている気がした。

ちなみに私鉄や地下鉄は、眼中に無かった。

新宿・渋谷より西のエリアはぜんぶ、
俺にとっては忌むべき「中央線」だった。

 

だから最初の下宿は、総武線小岩にした。

中央線と角度が真逆、それだけの理由だった。

田舎から上京したのに、よりによって江戸川区小岩。

千葉の一歩手前、チンピラと飲んだくればかりのうらぶれた街。

ここからなら、「ニューウェーブな新人類」に埋没せずに、
突出できる、それが無理でも孤立できると思った。

 

あれから20年以上の月日が流れた。

俺は今、たまたま縁あって、西荻窪に住んでいる。

よりによって、中央線オブ中央線みたいな、ニシオギに。

やっぱりあるある、趣味的な古本屋。

やっぱりあるある、アジア雑貨にエスニックごはん。

やっぱりあるある、昼なお暗い焦げ茶色な喫茶店。

やっぱりいるいる、校正の赤ペンを走らせる編集者。

やっぱりいるいる、居酒屋でとぐろを巻くバンド野郎with紅一点。

やっぱりいるいる、昼間から焼き鳥屋で難しい本読んでるような、仕事何やってんだか分かんない長髪のオヤジ。

二十数年前の田舎者の山勘は、
わりと正確だったと言うべきか。

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アート系の手作り小物屋。これぞ中央線!
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西荻のスナップショット。趣味的な品揃えの古本屋
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地元では有名な、狂った外装の進学予備校
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小洒落たアンティークショップが西荻には多いが、俺には無縁の世界

で。実際に住んでみて、感想はどうかと言うと。
それが、
す〜んごく住み心地が良いんだよね〜。
買い物にも打ち合わせにも便利だし〜。
外食天国だし〜。
公共施設も充実してるし〜。
落ち着いていて、それでいて寂しくもなくて〜。
とにかく雰囲気が良いんだよね〜。
住民の民度が高いっつ〜か〜。
やっぱ文化人はこういうとこに住まなくっちゃね〜。
ごめんなさ〜い中央線、とっても良いとこでした〜♪

 

<追伸>
最近の自分の埋没っぷりに危機感を抱いている俺は、
現在、九十九里か外房あたりの売り物件を本気で探している。

昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。