
中央線が、嫌いだった。
例えば、フォークソング『神田川』が、嫌いだった。
子供の頃から、つまりリアルタイムで、嫌いだった。
子供心にも、あの人間性の矮小さは、明白だった。
ただの性器の結合をもったいぶって語ったりする、
自民党員より農協組合員よりズルい奴ら。
ヒッピー。サヨク。
その末流である、
ひとりよがりに絵具をこねくる、
「自由」以外の言葉を知らない脳味噌パーなビジュツくん。
薄っぺらな人生観をパターン通りのコードに乗せて歌い、
バカゆえに濡れやすい小娘の股間を効率よく漁るオンガクくん。
それらと似たり寄ったりなエンゲキくん。
エトセトラ。
東京に行っても、中央線にだけは住むまいと、心に誓った。
十把一絡げの、雑魚なカルチャー若造にだけは、なりたくなかった。
そういう「自己表現カス」が、東京には、
特に中央線あたりには、ウジャウジャ蠢いている気がした。
ちなみに私鉄や地下鉄は、眼中に無かった。
新宿・渋谷より西のエリアはぜんぶ、
俺にとっては忌むべき「中央線」だった。
だから最初の下宿は、総武線小岩にした。
中央線と角度が真逆、それだけの理由だった。
田舎から上京したのに、よりによって江戸川区小岩。
千葉の一歩手前、チンピラと飲んだくればかりのうらぶれた街。
ここからなら、「ニューウェーブな新人類」に埋没せずに、
突出できる、それが無理でも孤立できると思った。
あれから20年以上の月日が流れた。
俺は今、たまたま縁あって、西荻窪に住んでいる。
よりによって、中央線オブ中央線みたいな、ニシオギに。
やっぱりあるある、趣味的な古本屋。
やっぱりあるある、アジア雑貨にエスニックごはん。
やっぱりあるある、昼なお暗い焦げ茶色な喫茶店。
やっぱりいるいる、校正の赤ペンを走らせる編集者。
やっぱりいるいる、居酒屋でとぐろを巻くバンド野郎with紅一点。
やっぱりいるいる、昼間から焼き鳥屋で難しい本読んでるような、仕事何やってんだか分かんない長髪のオヤジ。
二十数年前の田舎者の山勘は、
わりと正確だったと言うべきか。




で。実際に住んでみて、感想はどうかと言うと。
それが、
す〜んごく住み心地が良いんだよね〜。
買い物にも打ち合わせにも便利だし〜。
外食天国だし〜。
公共施設も充実してるし〜。
落ち着いていて、それでいて寂しくもなくて〜。
とにかく雰囲気が良いんだよね〜。
住民の民度が高いっつ〜か〜。
やっぱ文化人はこういうとこに住まなくっちゃね〜。
ごめんなさ〜い中央線、とっても良いとこでした〜♪
<追伸>
最近の自分の埋没っぷりに危機感を抱いている俺は、
現在、九十九里か外房あたりの売り物件を本気で探している。
寄稿家プロフィール
あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。