COLUMN

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昭和40年会の東京案内

第25回:駅の内と外【後編】
有馬純寿
Date: March 29, 2006
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上りと下りで壁の色が異なるホーム(大江戸線「飯田橋駅」:以下写真すべて)

前回、駅に都市の機能をなにからなにまでインテグレートしたら新しい街のシステムができるかもと書いたわけだが、学生コンペに限らず実際の都市計画のプランなどでは実にいろいろな提案がなされていて、そのなかでも少なくないのが美術館をはじめとする文化施設と駅の融合だ。人々が行き交うポイントに美術館やホールなどを繋げる手法は古くからあるが、東京には意外と少なく、東京駅の東京ステーションギャラリーだけではないだろうか(残念ながら2011年まで改装のため閉館中)。


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高速道路のような営団線への連絡通路

しかし、そのかわりといっては何だが、美術館こそないものの東京のあちこちの駅には外、構内、ホームを問わず「ギャラリー」と称したエリアは多数見られる。ギャラリーと銘打ってなくても「これってもしかしてパブリック・アートってやつ?」という感じの作品もあるし、壁のデザインというには過剰すぎるアートっぽい正体不明のものも多い。イベントや市民の愛好団体の作品展示にも使われる構内などにあるギャラリーはまだ意味はあるだろう。だが、具体的にどれがどうとはいわないが、パブリック・アート系についてはよいと思ったものはほとんど皆無だ。

地方の都市の駅前にありがちな、存在理由不明の謎の裸婦像よりかは幾分ましではあるが、およそ周囲と調和していない点はほぼ同じだ。へたにアート作品など置くくらいだったら、必要なインフォメーションをシンプルでセンスのいいデザインでしっかりと伝えるほうが、よっぽどアーティスティックで視覚的なインパクトがあるのではないだろうかとつねづね感じている。


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改札付近もミニマル

では駅にはアーティストは不要なのか。そんなことはもちろんない。ただその関わり方が重要なのだ。今回はその具体的な例をひとつ挙げておこう。昨年、森美術館での建築をテーマとしたアーキラボ展でのシンポジウムで、ベルリンのART+COMに所属するメディア・アーティスト、ヨアヒム・ザウターが行ったプレゼンテーションは、駅の外装をまるごとディスプレイにしてしまうというプランであった。そのディスプレイには映像作品のような鑑賞のためのものだけでなく、次の列車の出発時間や遅延情報、ニュースや気象情報などさまざま情報を、映像表現を駆使して表示し続けるという、実用的かつアート表現としてもかなり興味深いものであった。建築物のファサードを「情報の皮膚」とする発想はメディア・アーティストならではのものだ。東京でもこのようなプロジェクトが展開できたらすばらしいのだが。


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天面を這うウエブフレーム

もうひとつ、今度は実際にある例を。大江戸線は最近できた地下鉄だけあってデザイン性の高い駅が多いが、なかでも特異なのが飯田橋駅だ。詳しくはこの駅を手がけた建築家、渡辺誠氏のサイトにある解説を見ていただきたいが、この駅の特徴はまずは装飾的な要素を排し、都市のインフラである地下鉄の構造そのものをむき出しで提示している点。さらに、利用者に必要な情報を統一感のあるシンプルな意匠や建築的な工夫で表すという、機能的かつミニマリスティックな空間であるところだ。

そこにコンピュータで植物の成長をシミュレーションするかのごとく自律的な演算によってつくりだされた「ウエブフレーム」という照明と天井を兼ねた鮮やかな緑のフレームが走っていて、視覚的に大きなインパクトを与える。このある意味強烈な「ウエブフレーム」に目が奪われがちではあるが、徹底したコンセプトで練り上げられた空間の心地よさがここにはある。なによりも発車の合図やアナウンス以外、無音なのがいい。

景観もそうだが、前回ちょっと触れた表参道ヒルズもしかり、いまだにBGMや環境音楽的なものが溢れまわる、日本の音風景をまずはなんとかしないと。

昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

ありま・すみひさ/1965年生まれ。エレクトロニクスやコンピュータを用いた音響表現を中心に、即興演奏からCD、サウンドインスタレーションまでジャンルを横断する活動を展開。同年生まれのアーティスト集団「昭和40年会」など美術家とのコラボも多数。国内外の展覧会への参加も多い。ジョン・ケージの『Europera 5』の日本初演など、最近は現代音楽の仕事が増えつつある。(Portrait: Matsukage Hiroyuki)