
現在開催中の第2回広州トリエンナーレ(2006/1/15まで)に出展中の小沢さん。今回の「東京案内」は、現地での体験を綴った番外編です。ご本人からの提案に加え編集部でもぜひ皆さんに読んでいただきたい内容だと感じ、ここに掲載します。日本<—>中国の往復書簡形式で生まれた出展作をめぐる、語られなかったエピソードです。


僕は悔し涙をこらえながら青い水彩絵の具で「東京」と書いた。こんな気持ちは初めてだ。ここは中国第3の都市・広州の、静まりかえった夜の美術館だ。
第2回『広州トリエンナーレ』に、ただ一人の日本人の美術家として参加している。「中国実験芸術10年(1990-2000)」をメインテーマにした第1回目に続く今回は、広東では初の本格的な国際現代美術展となる。広州のアートシーンは、上海や北京などと比べ、発展や自由化が立ち後れていた。この展覧会で大きく状況が変わっていくことだろう。
今回僕はチェン・シャオション(陳劭雄)という広州在住の作家と共同制作をした。彼は僕と同世代で、広東のアートシーンを牽引してきた一人である。現代美術で、日本と中国の作家のコラボレーションは史上初かもしれない。僕らは非常に長いドローイングを作ったのだが、ピンポンのタマが行き交うように、両国間を幾度も紙筒を往復させながら作品を作っていった。例えば僕が、自分のスタジオで皿を沢山描いて広州に送ると、シャオションが皿の上に料理を描いて送り返してくる。そんな感じで、紙の右から左へと、どの箇所にも二人の手が入った12mもの長い絵が2枚出来上がった。それは絵による対話でもあり、文通でもあり、喧嘩でもあった。週に1回ほど届く郵便の封をドキドキしながら開ける日々であった。
ドローイングを壁に掲げるぐらいのシンプルな展示ではあるが、手こずっていた。裏打ちも額装もされていない長い紙はデリケートなので、細心の注意が必要であった。ようやく、ほとんど出来かけたときに、シャオションと数人の男たちが作品を前に話し込んでいる。シリアスな雰囲気だ。男たちは、美術館の幹部や文化局の(文化庁に当たるところだろうか?)役人とのこと。話はこういうことだった。作品の一部を消さないと展示を許可できないとのことだった。

問題箇所と指摘されたところは、シャオションの描いた提灯を持った少女の絵の横に「旧暦8月15日は中秋の名月」と中国語で書き添えられていて、それに対して僕は「8月15日は終戦記念日或いは敗戦記念日」と終戦記念式典の様子を描いた部分だった。彼らの言い分としては、終戦記念日とあるが、まだ終戦と認めていない人もいるので、クレームを受けるおそれがあるとのことだった。敗戦記念日とわざわざ書き足して気を遣っていることをシャオションが訴えたが、この時期にわざわざデリケートな部分を扱うこと自体が問題だと言われてしまった。僕らは作品を作る前に、お互い政治的なことに触れるのは止めようとルールを決めていたのだが、この程度のことが政治的と言われるとは思いもしなかった。むしろ、同じ日にちを聞いてイメージする内容の違いを互いに認識するのは、コミュニケーションとしては重要かと思う。
とにかく僕は愕然とした。わずか数年前には頻繁にあったという「当局からのストップ」というまさかの事態が、外国人の僕に降りかかってくると思いもしていなかった。僕は口を開けば感情的な言葉が出そうで、じっと口を閉じていた。何の悪意もなく描いているのに、自分で自分の作品に墨を入れろだと?シャオションも頭を抱えていた。とにかくハンルーを待とう。ホウ・ハンルー(侯瀚如)は、このトリエンナーレのディレクターで、僕らが非常に信頼を寄せている人物だ。彼ならスマートな解決策を考えてくれるかもしれない。

数分後に現れたハンルーは、この字の部分を消すか、作品撤去以外の選択肢はない、と言った。僕はハンルーに言った。
「あなたは、なぜ僕が中国の作家とコラボレーションワークをしたか、その意味を十分わかっているはずだ。最近の両国間の最悪な関係状態を、政治家も一般の人々も越えることが出来ないので、僕らアーティストがアートという方法で飛び越えようとしているんだ」
「わかっている! いいか小沢。当局はそのような言葉では動きはしない。○か×かで返事する以外の選択はないんだ。説得の余地は皆無だ」
彼の言う言葉は明快だが、表情は僕以上に苦しさにゆがんでいた。
「即答は出来ない。考えさせてくれ」と、僕は答えた。
妥協しないで作品を外すべきか? それは潔いが、なんとか知恵を働かせて、自分の作品を展示することに全力をあげるのがプロの作家の魂では無かろうか? さらに、関わる多くの人が納得できるハッピーな解決方法を考えるべきでは?
一方シャオションは、いろんな人と掛け合ってくれたが、結局、「塗りつぶすしかなさそうだな」と言った。彼には過去このような苦い経験はいくらでもあったようだ。中国は経済発展と都市部の開発があり得ないほどのスピードで進行して、あらゆるものが変革を続けている。しかし未だに、出版物や映画のシナリオなど多くの表現には国の検閲が必要なのだ。
名案とは思えないが、しばらくして僕が思いついたのは、問題箇所に小泉の顔を描くことだった。気持ちが変わらないうちに描き始めたが、心に迷いがあったのだろうか? 無惨にもにじんで、醜いシミにしかならなかった。「ダメだ。こんなことでは」そして僕は、思考停止するしかない無力な自分が悔しくて仕方がなかった。

翌朝は記者会見などがあるので、朝9時には美術館に行くように言われたが、とてもそんな気にはなれず、昼近くにゆっくり行った。僕らの作品を熱心にのぞき込んでいる女性がいた。ク・ジョンガだ。彼女は、パリに住む韓国の作家で、今回の出品作家でもある。「一生懸命見過ぎたらコンタクトが外れかけたわ。小沢の作品はとても繊細で、2人の作家が作品を立ち上げるところから完成までの時間が凄くでていて面白い。すごくいい作品だと思う」。僕は昨日の出来事にくよくよしていたが、この作品に費やした数カ月の時間からすれば、ほんの1点にしか過ぎず、作品全体を見れば人の心を捉えることが出来るんだと思い、ずいぶん心が楽になった。その後タイのスラシ・クソンウォン、台湾のマイケル・リンらからも、けっしてお世辞ではない肯定的な意見をいただいた。ありがとう。信頼している作家からの言葉こそ、最も勇気づけられるものだ。
さて、今回展示した作品のタイトルは、シャオションが『広東』と黄色く書き、僕が青い絵の具で書いた『東京』をつなぎ合わせて《広東東京》とし、作品の横に掲げた。
寄稿家プロフィール
おざわ・つよし/美術家。1965年東京生まれ。東京藝術大学在学中から、風景の中に自作の地蔵を建立し、写真に収める『地蔵建立』開始。93年から牛乳箱を用いた超小型移動式ギャラリー『なすび画廊』や『相談芸術』を開始。99年には日本美術史への皮肉とも言える『醤油画資料館』を制作。2001年より女性が野菜で出来た武器を持つポートレート写真のシリーズ『ベジタブル・ウェポン』を制作。2004年には森美術館にて個展『同時に答えろYesとNo!』を開催。