

前回は、昭和40年会結成の原点とも言える松蔭、小沢両氏の出会いの場所=根津から出発し、谷中方面へ移動してきたふたり。思い出辿りの街歩き、後編はまず千駄木方面に向かいます。
(全撮影:玉利祐助 構成:編集部)
■谷中 朝倉彫塑館
——谷中墓地のさくら通りから細い路地を抜け、工芸品店や甘味処など、ノスタルジックなお店の並ぶ通りへ。中でも美しい佇まいの建物が、朝倉彫塑館です。

松蔭(M):おっと残念! 閉館時間に間に合わなかったな。ここはオレが一等大好きな場所。朝倉文夫って、まあ言うなれば日本のロダン? 彼の自宅兼アトリエだった場所を公開したもので、まず建物が最高だね。表のアトリエ部分は洋風なんだけど、奥の住居は数奇屋造りで、ちょっと昔の旅館っぽい。
小沢(O):壁や廊下もいい雰囲気の造りだよね。
M:さらに、中庭もいい! 中央の池は深さが2mもあって、普通の日本庭園ではあり得ないらしいけど、自然の池に近づける意図でそう造られたんだって。
O:戦前は屋上を畑にして、芋とかの食糧を作ったというエピソードも妙に心に残ってる。
M:まさにビオトープですな。初めてここを訪れたとき、買い取ってオレのものにしたい! って叫んだよマジに。
O:区の施設だからムリです(笑)。
M:あと展示作品でおすすめなのが、いろんな猫の彫刻群。寝てる猫がいるかと思えば、母猫が子猫にお乳をあげていたり。これは猫嫌いのオレもお勧め。
O:えっ、猫嫌いだったんだ?
M:猫みたいな女、は好きだがな……(誰にというわけでもなく流し目)。
■谷中銀座 — 千駄木
——朝倉彫塑館を出るとすぐ、通りの突き当たりに見えてくるのが「夕焼けだんだん」。下町風情あふれるこの階段は、ドラマの撮影などにもよく使われるそうです。ここから南に伸びる通りが「谷中銀座」と呼ばれる地元商店街。威勢のいい呼び声に、ふたりの記憶も蘇り……。


O:この辺りでは、古本ばっかり買っては読んでいた思い出がある。おっ、ちょうど夕焼けだんだんに夕陽が……。
M:うーん、またこの辺りに戻ってきたい気持ちになるな。
O:「肉のサトー」の谷中メンチ、買っとく?
M:おう、根津のコロッケと食べ比べといこう。
O&M:(即購入、その場でひとくち)うめー(笑)。
O:まさにこれぞメンチカツ、だね。
M:この先の洋食屋「マロ」にもよく行ってたな。で、そのさらに先にある風呂なし集合アパートに、会田誠が住んでたんだよ……あったあった、「久保荘」。初期の作品『あぜ道』とかは、ここで描いてたんじゃない?
——谷中銀座からよみせ通りへ、そして三崎坂へ到着した一行。そこに若き小沢さんの手掛けたパブリックアートを発見!?

O:ここの「菊寿堂 いせ辰」は老舗の千代紙屋として有名だね。で、この裏に以前アトリエとして借りてた部屋があるんだよ。暗室にも使ってたんだけど、換気扇からどうしても光が入っちゃうから、アルミで長ーい通風口を取り付けて……あ、まだ残ってるわ。
M:おおー。これも立派なオザワ的造形物のひとつだな。
O:近所の板金屋に安く発注したんだけど、そのとき地元の消防団にスカウトされたっけ。松蔭はこの辺りだと、どんな思い出がある?
M:ここは何を隠そう、根津時代のオレの「別宅」があった場所。自分のマンションは男のルームメイトとシェアしてたから、彼女と会うために、風呂なしの共同アパートを借りたんだよね。住人は東大生が多かった気がするけど、もともと連れ込み宿か何かだったのか、独特のお忍びな雰囲気があったね。うーん、確かこの辺だったと思うけど、なくなっちゃったか。見つからないとそれはそれで、何かいろいろ思い出すなあ……。
■「ヘビ道」探訪
——ちょっと寂しげな松蔭さんですが、気を取り直して通称「ヘビ道」の界隈へ。その名の通り、曲がりくねった細い通り沿いにお店が点在しています。

M:ここは飲み屋や飯処が多いけど、やっぱり少しづつは変わってるね。このバーなんて、看板に"Snake Street"って英語で書いてある。まあ確かにここは「アベニュー」っていうより「ストリート」って感じだな(笑)。
O:この間ひさしぶりに通ったら、新しく若い人が洋服屋を始めたりしてるんだよ。細長い、ホントにこぢんまりとしたスペースを使って。
M:じゃ、そこに行ってみようか。どれどれ、「青空洋品店」か。なかなかいい名前じゃないですか。
O:こんにちはー。ここ、いつからやってるんですか。
店長:いらっしゃいませ。2年前からマイペースでやってます。
M:ミシンもあって、ここで服を作ったりもしてるんだね。地元の人ですか?
店長:いえ、何となく流れ着いた感じで(笑)。
O:すみません、これ下さーい(Tシャツ購入)。
M:おっ、購入ですか。やっぱり懐かしの回想ばかりじゃなくて、こういう新しい動きも紹介した方がREALTOKYO的にもいいだろう。何かオレたち、メディア思いの優等生だね!
O:いや、いまのところ、行きたいとこに勝手に行ってるだけです(笑)。
■思い出の根津神社
——蛇道を抜け、不忍通りに復帰。ここで一休みということで「甘味処 芋甚」の暖簾をくぐります。創業は大正時代。もともと焼き芋屋さんだったのが店名の由来という老舗の甘味店。松蔭、小沢ご両人とも足繁く通ったとのこと。

M:何かすごく、お店が綺麗になったなあ。
O:でも同じメニューだね。
M:すみませーん、アイスモナカお願いします!
O:やっぱりそれだ。
M:(かじりついて)美味い。二日酔いも吹っ飛ぶね、これ。
O:今までずっと二日酔いだったのかよ! でも確かに美味い。俺、アイスクリーム全般が苦手なんだけど、ここのは何故か大丈夫なんだよなあ。
M:本当に粋(いき)なのは、テイクアウトしてかじりながら根津神社とかを目指すってやつなんだけどね。さて、ではその根津神社に行きますか。
——陽も暮れかけてきた不忍通りから、根津神社へ向かいます。そこには松蔭さん上京時の密かな決意が……?

M:この近くには地震研究所があって、そこの壁がテニスの壁打ちに最適だったな。あとは日本医大の看護婦寮もあるんだよ。
O:……念のためだけど、俺たち根津神社に向かってますよね。
M:そうそう。5月になるとつつじが綺麗でね。よく明け方ここに来て、ベンチで漱石を読んだりしたなぁ。ノラ猫たちにツナ缶あげたり。他にも不忍池のほとりで『虞美人草』を読んだり。そもそも大阪から上京したとき、なぜこのエリアに住もうかと思ったかって、やっぱり「文豪の街」に惹かれてのことだから。
O:この辺りだと森鴎外もそうだしね。
M:だから引っ越し先は文京区でないと駄目だった。で、あの根津のマンション近辺は台東区なんだけど、幸運にも飛び地的に文京区に入ってて。だから決めた。
O:松蔭は絶対、いま俺が住んでる埼玉とかには来ないだろうな(笑)。

M:さあ、また根津に戻ってきた。根津の食い物屋はおにぎりの「いなほ」、酒処の「車屋」、天ぷらと飯処の「和光」本店とかいろいろあるよ!
O:さすが詳しいな。じゃあ、ちょっとそこらで一杯飲みながら、こっから先は年末に向けての『40×40プロジェクト』の後半戦に向けて話でもしようか。
M:おっ、いいねえ。ごめんくださーい!
——この後、有馬純寿氏も加わり、『横浜トリエンナーレ2005連動企画 BankART Life - 24時間のホスピタリティー』、銀座の新ギャラリーで40年会がプロデュースする新人展『七人の子侍+1』、トーキョーワンダーサイト渋谷での『東京おみやげ展』など、続々開催予定のイベントに向けた熱い討論へ突入。思い出から未来へと、根津の夜は熱く更けていくのでした。
寄稿家プロフィール
まつかげ・ひろゆき/1965年福岡県生まれ。88年大阪芸術大学卒業。現代美術家。90年アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」でヴェネチア・ビエンナーレ・アペルト部門出展。以後個展を中心に国内外で活動。写真、パフォーマンス、グラフィックデザイン、ライターなど幅広く手掛け、アート集団「昭和40年会」、宇治野宗輝とのロックデュオ「ゴージャラス」でのライブ活動でも知られる。 おざわ・つよし/美術家。1965年東京生まれ。東京藝術大学在学中から、風景の中に自作の地蔵を建立し、写真に収める『地蔵建立』開始。93年から牛乳箱を用いた超小型移動式ギャラリー『なすび画廊』や『相談芸術』を開始。99年には日本美術史への皮肉とも言える『醤油画資料館』を制作。2001年より女性が野菜で出来た武器を持つポートレート写真のシリーズ『ベジタブル・ウェポン』を制作。2004年には森美術館にて個展『同時に答えろYesとNo!』を開催。