COLUMN

40nen
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昭和40年会の東京案内

第16回:谷根千おもひで巡礼ツアー【前編】
松蔭浩之×小沢剛
Date: October 05, 2005

「芸術の秋」到来です。というわけで、かどうかはわかりませんが、今回の特別編は森鴎外や夏目漱石など多くの文豪が愛した街、谷根千エリア(谷中、根津、千駄木)のご案内。かつてこの地に暮らし、昭和40年会創設メンバーとなった松蔭、小沢両氏による思い出めぐりの旅を、前・後編に分けてお届けします。

(全撮影:玉利祐助 構成:編集部)

■根津—松蔭&小沢 出会いの地

——今回のツアーの出発地、千代田線・根津駅前に到着した松蔭、小沢両氏。まずは駅出口すぐの場所に、10年前と変わらず店を構える「寺嶋精肉店」を発見、記憶は一気にこの街で過ごした当時の暮らしへ……。

 

寺嶋精肉店から出発!

松蔭(M):おお、まだやってたねえ。ここのコロッケがすっごく美味いんだよ。早速これ買ってから出発するか。ごめんくださーい、コロッケ2つ。

店員:すみません。今日はもう残り1個だけなんですよ。

小沢(O):何か出だしから切ない展開だな……。

M:まあまあまあ(とりあえず購入、一口食べる)。ほら、召し上がれ。

O:うん……美味い。相変わらず、甘過ぎない正しい味のコロッケだな。

M:この店と道を挟んで向かい側、あのビルにオレは住んでたんですよ。1990年の終わりから4年ほど、ルームメイト(♂)とシェアして。部屋は5階建ての最上階で、エレベーターなし!

O:改めて見ると、すごい駅近物件だね、これ。

M:アジトみたいな部屋の窓辺から夜の不忍通りを見下ろしてると、駅から出てくる小沢が見えて「お、帰って来た」ってこともあった(笑)。

 

出会った頃のときめき(?)を回想

O:確か、このアパートからちょっと歩いた所に……。

M:オレと小沢が初めて出会ったコンビニがある!。

O:お、発見! 店名は変わったけど今もあるんだな。

M:立ち読みしてたら突然「松蔭くんだよね」って声かけられて、それが小沢。まあ、互いの存在は知ってたんだけど。で、『なすび画廊』に出展してくれって話になって……キミ、すごい執念だったよな。

O:執念て(笑)。

M:失礼! 「熱意」と言うべきか。でもそうして付き合いが始まったからこそ、今の40年会があるとも言える。

O:ちょうどその年、94年に結成だからね。

 

 

——そのまま、かつて小沢夫妻が暮らした池之端のアパートへと歩くふたり。目の前は上野動物園、閑静な住宅地にどこからかオットセイの鳴き声が響きます。

 

M:ここ、広くていい部屋だったよなあ。

O:この場所には、台東区の新婚世帯家賃補助に当たったから越して来た。若い人を呼び込もうっていう区の試みだと思うんだけど、補助期間が終了するとまたよその区に出て行っちゃう人も多いらしいよ(笑)。

M:当時、小沢は風呂場を暗室代わりにも使ってて、ある日遊びに行ったら「当面暗室としての使用厳禁」って張り紙がしてあったのも、何故か覚えてるな。
あれやっぱりカミさんに怒られたの?

O:……(黙殺)。

M:『新宿少年アート』のときも、ここが活動拠点のひとつになっていた。村上隆、中村政人、中ザワヒデキたちも集まって……。そういや、40年会初代メンバーでもあった曽根裕が泊まった翌日早朝、奴が隣の動物園の壁乗り越えて侵入した事件も懐かしいなあ(遠い目)。

O:まあ、あれは時効でしょう……。

 

 

■池之端から谷中へ—骨董、喫茶、銭湯通い

EXPO店長と久々に語らう

——一行は清水坂を昇り、アラーキーの母校としても知られる上野高等学校を過ぎて谷中方面へ。この辺りは主に小沢さんの思い出の地。まずは『昭和レトロ百貨店 EXPO』に到着です。

 

O:ここは店名の由来通りで大阪万博モノはもちろん、アンティークやウルトラマン関係も相当レアな品があって、戦後の生活骨董店としては第一級だと思うよ。買物もしたけど、俺はお金のないときにモノを売りに来てた方が多いかな。

珍品ガシャポン『石膏デッサン入門』

M:おお! 店長どうも。相変わらずの品揃え、というかグレードアップしてますね。ところでこのガシャポンは一体なに?

店長:お久しぶり。これはね、ウチで企画した、石膏デッサン像のカプセルフィギュアシリーズ。特に学生さんに好評ですよ。

M:デッサン用の石膏像と言えば、美大生にとっては愛憎半ばする存在だからな……。

店長:今度、これを素材にちょっとした作品展も企画してるから、ぜひお二人も出品お願いします。ここはひとつ、谷中に恩返しってことで。

O:うーむ……じゃ、俺はこのラボルトで何か作ります。

M:オレは無論このトッド・ラングレン似のマルスで。それじゃ店長、また!

 

※後に二人の作品は無事完成し、現在EXPOにて開催中の『俺の石膏像』展(〜10/16)にて展示中。

 

 

レトロな「喫茶カヤバ」にてひと息
SCAI THE BATHHOUSE前にて

——店を出たふたりは、言問通り沿いの『珈琲カヤバ』で小休止。昭和13年開業、建物は大正時代の竣工というこの店、革張りの椅子や年代物の氷かきなど、懐かしい雰囲気一杯です。

 

M:こんな店があったの気付かなかったな。当時もよく来てたの?

O:ときどきここで原稿を書いたりしてた。すぐ近所の銭湯も良く使ってたけど、そこが後に、SCAI THE BATHHOUSEになったね。

M:SCAIと言えばその斜め向かい、台湾名物デザートのお店『愛玉子』(オーギョーチィ)もありますな。お約束というか、定番ですね。

 

 

■『谷中墓地から '92 巣立ち』編

——SCAIに立寄りスタッフに挨拶した後、ふたりは谷中墓地へ。ここは2001年に会田誠氏の結婚披露宴が行われた場所。実はすぐそばに、小沢さんが学生時代に一人暮らしをしていたアパートもありました。

 

谷中墓地を散策。花見の名所でも有名

O:会田の式のときはオランダにいて出席できなかったけど、すごかったらしいね。

M:ちょうど花見の時期に「五重塔跡」の公園全部を関係者が陣取ってたの。オレ司会だったから大変だったよ。みんな一芸披露することになってて、山口晃が織田信長の「人間五十年」の舞を踊ったり。

O:ここは徳川慶喜とか、結構いろんな人のお墓があるのでも有名。

M:オレは断然「大奥の墓」に行ってた。どこか打ち捨てられたような侘しさというか、まさに谷中墓地のなかの大奥といった風情がシビレる。まあ今日はそれより、小沢が住んでたアパートに行ってみよう。

 

 

——そのアパート「和光荘」に到着。

 

忘れじの「和光荘」前で

O:ここで思い出に残ってるのは、ある日帰ってきてアパートの階段登ろうとしたら、急に人が駆け下りてきて。危ないなって見上げたらその人、吉岡秀隆だった。

M:『北の国から』の純くん?

O:そうそう。まさに『'92巣立ち』編で、この建物が、上京した純の暮らすアパートとしてロケに使われてたらしい。

M:あぁー、裕木奈江と恋に落ちて妊娠させてしまった話ね。

O:で、この話にはオマケもあって。その後に俺は中野へ引っ越したんだけど、すぐ近くにガソリンスタンドがあって、そこが同じドラマでその裕木奈江扮する女の子のバイト先という設定だった。

M:……『北の国から』の呪縛ってか?

そして思い出ツアーは続く……

O:どうだか(笑)。あとこの辺は春になると、日暮里駅の南口から墓地を抜けて三崎坂に出る道が桜のトンネルみたいになって、すごくいい。これも俺の「東京案内」としては外せないかな。

M:今の季節もいいねえ。天高き空、秋の雲よ。今日ははじめ雨模様だったけど、やっぱ敢行してよかったなあ!

O:じゃあ日が暮れないうちに、松蔭の思い出もどっさりありそうな千駄木方面に向かいますか。

 

<後編につづく>

昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

まつかげ・ひろゆき/1965年福岡県生まれ。88年大阪芸術大学卒業。現代美術家。90年アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」でヴェネチア・ビエンナーレ・アペルト部門出展。以後個展を中心に国内外で活動。写真、パフォーマンス、グラフィックデザイン、ライターなど幅広く手掛け、アート集団「昭和40年会」、宇治野宗輝とのロックデュオ「ゴージャラス」でのライブ活動でも知られる。          おざわ・つよし/美術家。1965年東京生まれ。東京藝術大学在学中から、風景の中に自作の地蔵を建立し、写真に収める『地蔵建立』開始。93年から牛乳箱を用いた超小型移動式ギャラリー『なすび画廊』や『相談芸術』を開始。99年には日本美術史への皮肉とも言える『醤油画資料館』を制作。2001年より女性が野菜で出来た武器を持つポートレート写真のシリーズ『ベジタブル・ウェポン』を制作。2004年には森美術館にて個展『同時に答えろYesとNo!』を開催。