COLUMN

40nen
40nen

昭和40年会の東京案内

第15回:綱島温泉・東京園
会田誠
Date: September 07, 2005

前回文字量がオーバーしてカットした分があるので、今回も僕が続けます。ただし文体は疲れるのでフツーに戻しますが……。

 

2年前東横線の綱島に住んでいて、駅の近くにある「綱島温泉」に週2回は通っていた。綱島は今では普通の住宅地だが、戦前は「東京の奥座敷」と呼ばれる温泉街で、芸者もたくさんいたそうだ。東京園は僅かに止めているその名残の一つ。
天然温泉なのに銭湯と同じ400円という良心的な入場料が、まずはありがたい(ただし1時間以内で出れば、もしくは夕方4時から入ればの値段で、昼間1時間を越えると800円と、ちょっとややこしい料金設定だが)。泉質は麻布十番や二子玉の「山河の湯」などと同じ、例のブラックコーヒーを4倍に希釈したような茶色いお湯。確かに肌はスベスベになる気がするが、薬効成分が濃すぎて、長く浸かると半日は足腰が立たなくなるほどグロッキーになるから、そのあと仕事が控えている人は注意が必要だろう。湯船はさほど広くはなく、銭湯に毛が生えた程度。最近流行りのスーパー銭湯のミストサウナのような最新設備をここに期待してはいけない。

 

こう書くとあまり勧めていないようだが、そうではない。ここの最大のウリは入浴後にあるからだ。

まずは広い庭が良い。といっても庭師がしょっちゅう手入れをしているような日本庭園ではなく、放ったらかしの果樹園、といった風情。半ノラな猫たちがサファリパークのライオンのように悠然と過ごしている。それを呆然と眺めながら、湯当たり気味の体を投げ出し、涼風に吹かれながら縁側のテーブルで瓶ビールを飲む。月並みな感慨だが、日本人に生まれてきて良かったと思う瞬間だ。

 

しかし僕が綱島温泉を推す最大の理由は別にある。もっと人生論的な意味で重要な示唆に富んでいるというか……。つまり一言で言えば、ここはほとんど「老人ホーム」であり、人生の終着駅をあらかじめ一日体験できる希有な施設なのである。

 

それが最も濃密に現れるのが、日曜日の大宴会場。広い座席はほぼ満員で、見たところ平均年齢は70歳をゆうに越えている。持ち込み可なので、テーブルには思い思いの手作り惣菜がところ狭しと並んでいる。それを時々つつきながら、日がな一日、爺さんたちはビールかワンカップを流し込み続け、婆さんたちはセルフサービスのお茶を啜り続ける。

 

ステージではもちろんカラオケ大会。懐メロ・演歌オンリーは当然のこと、時には戦前と思しきものまで混ざる、激レアな選曲が続く。爺さんのカラオケは時に人間離れしているくらい音痴だが、それが生まれつきなのかアルツハイマーのせいなのかはもはや判別できない。ある種の婆さんのカラオケはやたらビブラートをかけ、それが燃え尽きる愛欲の最期の揺らめきを思わせ、吐き気を誘う。そしてこの狂ったド演歌のカラオケに合わせて、ステージ上では爺さん婆さんたちが思い思いにペアを組み始め、こともあろうに洋モノの社交ダンスを踊り出す。婆さんたちは手作りの中途半端なドレスもどきを身に纏っている。初めて見た時は本当に空いた口がしばらく塞がらなかった。

 

三世代住宅に自分の居場所がない老人たちの姿が目に浮かび、長命を寿ぐべきか、老醜を憐れむべきか、アンビバレントな感情が渦巻く。そして気がつけば,そもそも人生とは何なのかを考え始めている……。

 

グローバルで熾烈な競争に日々晒されているビジネスマン、ネットの海を漂い続ける自殺志願者、アイデアの枯渇した僕のような表現者などは、一度くらいここを訪れてみても損はない。大きな視点に立って人生全体を見つめ直す日曜日が一日くらいあってもいいではないか。しかもたったの800円で。

 

ちなみに僕はお台場の「大江戸温泉物語」も後楽園の「ラクーア」も行ったことはない。値段が高いこともあるが、なんとなく広告代理店の戦略臭さが鼻について、心からリラックスできない気がするからである。

昭和40年会 http://www.40nen.jp/

寄稿家プロフィール

あいだ・まこと/1965年新潟市生まれ、育ち。父親は学術交流で北朝鮮に招かれ、帰国後息子に「チュチェ思想は素晴らしい」などと語った、そっち系の人。最近はかなり老いが進み、終末思想に取り憑かれている模様。母親はGHQが蒔いたアメリカ流人道主義に洗脳された元・理科の先生。ちょっと演歌の旋律を聴いただけで、面白いくらい激しい拒絶反応を示す。このような非(というよりは反)芸術的環境に育ったため、青年期は反動で芸術至上主義者を目指すが、やはり「蛙の子は蛙」の壁に直面し、変な分裂的性格になってしまう。現在は九十九里浜の近くでゆっくりとフェイドアウト中。