

2005年、われわれ昭和40年会はそろって40歳を迎える。
昭和40年生まれが40歳、端的にこのキリのよさに乗っかって、この1年間『40×40プロジェクト』と題し、展覧会、イベント、雑誌連載などいままで以上にアクティブな活動を展開する予定だ。
そのプロジェクトの一環として、REALTOKYOの場を借り連載企画を行うことにした。題して『昭和40年会の東京案内』。
生まれた場所も違う7人が、アーティストとして多くの時間を過ごしてきた東京をいまいちど見つめ、われわれが、なにものかになるに至った、いわば「大人になるために通過した場所」の数々をご紹介していきたいと思う。それは中年男たちのなつかしの場巡りになるかもしれないし、東京という世界有数の大都市を生き抜くサバイバルマニュアルとなるかもしれない。
このプロジェクトにしばらくの間、お付き合いいただけたら幸いである。連載開始にあたり、まずは各メンバーの東京感からスタートすることにしよう。
昭和40年会 有馬純寿
「東京といえば…」
東京といえば、溢れんばかりの緑としっとりとした歴史の面影である。嘘や逆説ではない。白神山地でも京都でもなく、新潟市寺尾地区からやってきた者の眼には、事実そう映る。
—会田誠
東京といえば…と聞かれてもなにもコメントがでてこないくらい、「東京」に思い入れがないことに自分でも驚く。それは30年以上も住み続けているにも関わらず、まだまだ行ったことのない所(たとえば浅草!)のほうが多いからなのか、それともあまりに大きく雑多な街だからなのかは、わからない。この連載を進めながら、他のメンバーが教えてくれる、まだ見ぬ「東京」を知ることで、もう少し自分の住む東京に愛着が持てればいいのだけど。
—有馬純寿
東京といえば…人が集まる場所のイメージが強いです。電車の中に人が集まる。オフィスビルに人が集まる。公団住宅アパートに人が集まる。ハチ公の前に人が集まる。デパートに人が集まる。繁華街に人が集まる。どこに行っても、人が多くて、肌と肌がふれあっているうちに、ひとつのダンゴになってしまうのではないかと思います。
—大岩オスカール幸男
東京といえば、僕の育ったところだ。大通り沿いにはどこにでもあるチェーン店ばかり、ゴミだらけの多摩川で釣り糸をたれ、5段変速機の自転車で多摩丘陵を上り、轟音で米軍の戦闘機が飛び立ち、どこも工事現場で、付近にはなぜかエロ本が捨ててあり、裏山には身の丈以上のススキだらけで、夏ごとに生い茂る謎のツル植物があり、移動販売の豆腐屋や牛乳屋の音楽がこだまする。こんなろくでもない郊外の風景が愛すべき僕の東京。
—小沢剛
東京といえば、奥多摩から小笠原諸島まで総延長1000数キロメートルもあり、とんでもなくスケールのでかい場所です。その中で僕がご案内できる東京とは、23区内にお住まいの方々が日帰りで訪ねることができる場所で、だいたい東急ハンズ周辺です。買物を手荷物で持って帰ってこれる範囲が、僕の知っている東京です。できれば「昭和40年会のリアルトウキョウ〜激闘!! 小笠原諸島片道25時間の航路〜」というタイトルでがんばりたかった! と連載の冒頭でグチをこぼしときます。
—土佐正道
東京と聞いてまず最初に頭に浮かぶのは「買い物」です。とにかく買い物に私は目がありません。ただし、安いもの、お買い得品しか買いません。ライバルは主婦です。特に50代以上の主婦は尾行すれば安い店が見つかる事もあります。が、今のところは「ビックカメラ」と「ドン・キホーテ」と「秋葉原」「中野ブロードウェイ」が僕の街、東京。
—パルコキノシタ
上京してから14年が経過している。したがって東京は、小中高校時代を過ごした小倉よりも、長く暮らした街ということになる。私の東京への憧憬は人一倍であった。漱石とYMOと横尾に見た東京は夢の都であり、必ず行かねばならぬ場所であった。25で念願の上京を果たし、覚醒酩酊表現恋出逢いに別れと、すべての現実をこの街で学んだ。がしかし、いまだ私は、私の中に在る東京を愛し、憧れたままでいる。「実東京」ならぬ「夢東京」の中でいつまでも活動して、死んでいければ幸せだなと思う。
—松蔭浩之
昭和40年会 http://www.40nen.jp/
寄稿家プロフィール
しょうわよんじゅうねんかい/1994年、アートフェアNICAFの会場で、以前より面識のある若手アーティストが集まり話をしていたところ、偶然にも全員が昭和40年生まれということが判明、その場で「昭和40年会」が結成される。以後、何回かメンバーチェンジを行いつつも、美術館・ギャラリーで定期的に作品発表を行い、98年にはヨーロッパ進出も果した。各メンバーは個人として多方面で活躍している一方、この「昭和40年会」ではそれぞれの持ち味を活かしつつも肩の力を抜いた活動を行っている。1999年5月より現在のメンバー(会田 誠/有馬純寿/大岩オスカール幸男/小沢 剛/土佐正道/パルコキノシタ/松蔭浩之)となり、同年、初のコラボレーション作品として映画「晴れたり曇ったり」を発表、2000年には、初の関西での展覧会を開催するほか、名古屋でもイベントを開催。