

ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』と世界の現実
第二次大戦後フランスは、彼らの旧植民地出身者を中心とする外国人たちを、労働力を賄う目的で積極的に自国に受け入れたが、ある時期から国益に反する異物として彼らを排斥する方向に政策を転換する。これによって、サンパピエ(Sans Papiers=許可証不保持者)と称せられる移民たちは必然的に生活苦を強いられた。映画『最強のふたり』の黒人青年が住んでいたスラムの劣悪環境などはその一例である。やがて移民の不満が爆発して暴動が起こるようになり、現在フランスが抱える最大の社会問題となった。
その問題と密接に係わってくるのが過去のフランス植民地政策の歴史だ。たとえばアルジェリアはどうだったか。映画『最初の人間』に描かれたアルベル・カミュの苦悩も、映画『ぼくたちのムッシュ・ラザール』の代用教員のモントリオール移住理由も、その不幸な問題系に直結している。そればかりか、私たち日本人もそれを対岸の火事として眺めているだけでは済まなくなった。
つまり、先日のアルジェリア人質テロが私たちに突きつけた問いかけ。あの痛ましい事件の背景をとことん追及するならば、王政復古下のシャルル10世によるアルジェリア侵略(1830年7月)にまで遡ることができると思う。そして、その直後に七月革命が起こり王政は打倒されたのだった。その革命を描いたのがドラクロアの『民衆を導く自由の女神』である。その画中で拳銃を持つ少年は、数十年後にヴィクトル・ユゴーが『レ・ミゼラブル』に登場させたガブローシュ少年のモデルだという。
まさしくそのユゴーによって、そしてまさしくその七月革命の余韻さめやらぬ中で、小説『ノートルダム・ド・パリ』は著わされたのだった(1831年3月出版)。ロマン主義者たちが古典主義者たちと激突し勝利を収めた文学史上の大事件「エルナニ合戦」(1830年2月)によって名を馳せ、ロマン派による芸術革命を主導していたユゴーが、その持てる想像力を自由奔放に沸き立たせながら短期間のうちに書きあげた物語こそ『ノートルダム・ド・パリ』に他ならなかった。
舞台となるのはノートルダム大聖堂。初期ゴシック建築の最高傑作と言われる。だが、そもそも"ゴシック"とは野蛮な異邦性・グロテスクな異形性を内包する建築様式に対する、古典主義サイドからの蔑称だった。聖堂に秘められたそんな意匠をロマン派的情熱で炙り出し、文学に結実させたのがユゴーなのだった。
中世が終焉を迎えようとする1482年に時代を設定し、ひとりの美しいジプシー娘を巡って、傴僂の鐘付男や背徳の聖職者らが繰り広げる奇怪なトラジェディは、わが国ならば差し詰め鶴屋南北の歌舞伎や唐十郎のテント劇にも通底する破天荒さが際立つ。あるいは、3月6日にDVD発売されることとなったスペインの傑作映画『気狂いピエロの決闘』にもイメージが非常に近い。
その小説を原作として、後に数多くの映画や芝居が作られたが、最も有名なのは『ノートルダムの鐘』という穏便な邦題の付けられた、ハッピーエンド仕立てのディズニーアニメだろう(原題は「ノートルダムの傴僂男」The Hunchback of Notre Dame/1996年公開)。アメリカンな味付けを施されたその物語を、ユゴーの生国フランスのプロダクションが奪還しえたのは2年後だった。
それがすなわち、このほど初来日するミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』のことである。1998年のパリ初演以来、世界で800万人以上もの観客を動員するほどの大ヒットを記録。また、その成功があったればこそ後続の『ロミオ&ジュリエット』なども健闘し、昨今話題のフレンチ・ミュージカル旋風が巻き起こったといえるらしい。

…とはいえ、である。ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』をシンプルにフランスのミュージカルと捉えてしまうだけでは少々面白味に欠けるというもの。というのも、そこには"エトランジェ"の香りが随分と濃厚に漂っているからである。どういうことか。
まず、そのミュージカルを構想し脚本・作詞を担当したのが、リュック・プラモンドンという人気作詞家だ。彼はカナダのケベック出身である。一方、作曲を担当したのは、リッカルド・コッチャンテ、こと、仏名リシャール・コッシアンテ。イタリアの大物カンタウトーレであり、デビューアルバム『Mu』はイタリアン・プログレシヴ・ロックの名盤としても日本でも名高い。彼はイタリア人とフランス人のハーフでヴェトナム(!)の生まれである。
演出を務めるのは、ジル・マウという演出家。彼もまたケベック出身、本作の後に、シルク・デュ・ソレイユの演出も手掛けることになる鬼才である。そして、ダンスの振付にはマルティノ・ミュラー。ドイツのシュトゥットガルトバレエ団やオランダのネザーランドダンスシアターでのダンサー修行を経て、いまや世界中から引っ張りダコ状態の、この人気コレオグラファーは、スイス出身なのだそうだ。
このように、フレンチ・ミュージカルとの触れ込みながら、なんと異邦性に満ち溢れたスタッフ陣容であろうか(出演者にもカナダ人やイタリア人をはじめ外国人が目立つ)。だが、そのことによってこそ、このミュージカルは独特な輝きを放射しているのである。いくつか具体的に説明しよう。
カンツォーネやシャンソンやジプシー音楽などが混ざり合ったようなコッシアンテの音楽。その編曲や演奏には、元マグマのヤニック・トップ(b)や、元トランジット・エキスプレスのセルジュ・ペラトネ(key)というプログレシヴロック遺伝子を受け継ぐ凄腕ミュージシャンたちが加わり、ゴシック的なコクのあるサウンドが見事に形成された。初演時にはその名曲群が次々とフランス音楽チャートでベスト10入りしたそうである。また、最近は人気の羽生結弦選手をはじめフィギュアスケート国際大会のプログラムで楽曲がしばしば使われるので、メロディだけは既に私たちの耳に馴染んでいるともいえる。
一方、演出面での最重要ポイントとして、この作品によりフレンチ・ミュージカル独特の基本スタイルが確立されたということがある。つまり、音楽とダンスとアクロバットの並立的共存のことを指す。1人の俳優が歌って踊るスタイルではなく、歌う演技者と、ダンサーと、アクロバット・パフォーマーが各々分業しつつ、それらが束ねられて劇が進行してゆくのだ。これにより、ダンサーやアクロバット・パフォーマーの身体運動はよりいっそうの激しさを求められるのだが、ここにおいて私は演出ジル・マウがケベック出身であることの影響を思わずにはいられない。
ラララ・ヒューマン・ステップス、シルク・デュ・ソレイユ、ロベール・ルパージュ、ルイス・フューレイ、等々、私たちの知るケベック発パフォーミングアーツの多くに共通することは、強度のフィジカル性やダイナミックなスペクタクル性だったりする。また、ジル・マウ自身もモントリオールで主宰してきた劇団カルボンヌ14において、『マラー/サド』『ハムレット・マシン』『死せる魂』などの身体性重視路線による演出で国際的に高い評価を受けてきたという。『ノートルダム・ド・パリ』で導入された独特の新スタイルの背景として、こうしたケベック・パフォーミングアーツ・シーンの影響を抜きには語れないのではないか、というのが私の見立てである。

本ミュージカルにおいて、さらにもうひとつ重要ポイントを確認しよう。作詞リュック・プラモンドンの企みに注目だ。原作では悪党・乞食らの巣窟だった"奇蹟御殿"を、現代のサンパピエのアジールに重ね合わせ、「われらはみなエトランジェ」と叫ばせることによって、500年もの時空的隔たりのある2つの世紀末(15世紀末と20世紀末)を、観客の脳内で一気に融合させてしまうのである。かくして我々は、現実社会の苦々しい暗部に突如として直面させられるのだ。これぞ恐るべき"奇蹟"の作法というべきだろう。
"エトランジェ"=異邦人=外国人の問題。それがケベック出身のプラモンドンにとって一貫して大きなテーマだったとは、フランス・ミュージカル研究の第一人者である渡辺諒氏も近著『フランス・ミュージカルへの招待』等で指摘している。とりわけ『ノートルダム・ド・パリ』には、その問題が前述のようにアクチュアルなものとして組み込まれていると渡辺氏は述べる。
もちろん"エトランジェ"は前述のアルベル・カミュにとっても文字通りの大きなテーマだったし、また、ジュリア・クリステヴァの『エトランジェ~我らの内なるもの』(1988年)によって、それが現代世界に生きる我々全体にとって普遍的かつ根深い問題であることを改めて思い知らされた(もちろんクリステヴァ自身もロラン・バルトの言う"異邦の女"だ)。そして、その延長上において、ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』は、ミュージカルの名の下に新たな生命を宿したと考えることが出来るかもしれない。
いまや(そして昔も)単に外国人ということではなく、あらゆる異質者・異形者がエトランジェなのである。そこに差別やいじめ、迫害や排斥が起こり、また、それに対する抵抗や反乱も起こる。そこから世界や歴史は混沌へと突き進むが、同時にまた新しい何かがダイナミックかつフィジカルに生成される。そうした現実から我々は目をそらしてはならない。…と、そんなメッセージが読み取れるように、このミュージカルには様々な仕掛けが周到に張り巡らされているように思えるのだが、いかがなものであろうか。

ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』を、フランスからやって来た、究極的なラヴ・ストーリーと受け止め、感動を涙で消費したいという御仁も数多くいらっしゃるだろう。もちろんそうした愉楽に耽ることはどんどん自由にやっていただきたいと思う。しかし、ユゴーの原作に潜む異形性や、プラモンドンらクリエイティブ・スタッフが仕込んだアクチュアルなメッセージ、あるいは、熱きフィジカルな血汐にふれも見で、さびしからずや道を説く君、…と言いたい私も一方にいる。
思うに、ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』を体験することは、世界の生々しい現実に触れることに等しい。世界の現実とは、この文章の冒頭に書いたこと、つまり、エトランジェという奇異なる他者を巡る悲劇である。悲劇とは、奇異なる他者を統合しようとしたり排斥しようとすることである。しかし、クリステヴァは前述の書物の中でこう述べている。「奇異は自分の中にある。われらはみなエトランジェなのだ」と。プラモンドンも同様の言葉をミュージカルの中に激しく叩きつける。みながそう思い改めることで、おそらく事態は変容することだろう。そこで私は思ったのだ。自分の内なる奇異を鏡に映し出せ。そして、その映し出された奇異を確認する鏡こそが、『ノートルダム・ド・パリ』という名のミュージカルなのではないかと…。
(※本文は早稲田大学教授・渡辺諒さん、「月歌館」サイト管理人Mewさん、ダンス評論家・乗越たかおさんをはじめとする当作品に詳しい方々から多くの貴重なヒントをいただき、自身の思考を経由させ、まとめたものです。)
寄稿家プロフィール
うにた・もみいち/演劇エッセイスト。これまで書いてきた雑誌連載エッセイは「演劇ヲタクの淫靡な快楽」「東京烈烈」「風に立て」「ワカラン子だらけ」「演劇崩壊」「なんちゅうか劇中歌」「エンゲキ東方見聞録」等。また、「地ノ果テノ舞踏会」「DRAMATRIX」「PerforMix」「演劇制作1-2-3」「シンポジウム演劇崩壊」「なんちゅうか劇中歌ライヴ」等、演劇舞踊関連イヴェントの企画制作も多数手掛けてきた。