ブエノスアイレスのレコーディングスタジオに集まってくる、アルゼンチンタンゴの奏者と歌手たち。リハーサル、編曲、そしてライブに至るまでに語られる彼らの言葉も、じつに魅力的で魔法のようだ。たとえば編曲は「曲のすべてを生かす」創作であること、「すべては3分間に凝縮されている」こと。編曲を編集に、曲を人に、3分を92分に変えると、この映画を紹介する的確な言葉がたちまちできあがる。また「女の子を口説くならキャバレーだった。タンゴを聞くならカフェだ」と語るマエストロ。横から観てAの字になっているタンゴ・ダンスのカップルの動きを先導するのは、ムチピチの下半身ではなく頭と胸だ。この不思議な、思索的にも見えるタンゴ・ダンスの一面とカフェとともに発展したタンゴは、どこか深いところで繋がるのかもしれない。コロン劇場のバックステージを縫うように捉えた、躍動感ある映像も必見。

大学生のハルはある日、カフェで声をかけられる。「かわいいから。ステキだと思ったから」と言うリコに最初は戸惑うが、漫然と日々を過ごしていたハルは、少しずつリコに惹かれていく……。父・奥田瑛二の監督作品などで経験を積んできた、27歳の安藤モモ子が監督デビュー。原作は桜沢エリカのコミックで、欠損した身体パーツを作るメディカルアーティストというリコの職業にテーマがある。不完全な存在である人と人とのふれ合いが繊細に綴られ、断片が胸にちくちく刺さりまくり。妹サクラ（本作にもカメオ出演）には大女優の片鱗が見えるが、姉だって負けていない。日本映画界に欠かせない存在になりそうな安藤姉妹に注目！

2006年秋、慶應義塾大学の教員と学生による有志が、同大学三田キャンパスの目の前にある三田商店街振興組合との共同で、築40数年の木造家屋をコミュニティスペースとして立ち上げた。以来、その「三田の家」はタウン（街）とガウン（大学）を結ぶ場となり、日替わりマスターによる運営を軸に様々な活動が生まれている。08年秋には徒歩５分ほどの場所に「芝の家」もオープン。大学は地域社会とどう関わることができるのか。コミュニティはどう作られるのか。教室以外の場で学べるものとは何か。４年間にわたる実践の記録から、そのヒントが垣間見える。

カナダ国境に近い、先住民保留地を擁する小さな町。つましい生活をしながら一家を支えるレイは、失踪した夫を探す途上でモホーク族のライラに出会い、２人は不法移民を密入国させる裏稼業にはまっていく……。サンダンスを制したコートニー・ハント初監督作品。凍り付いたセントローレンス川の上を車でひた走る女たちが、犯罪と知りつつ手を染めたのは、母親としての切なる想いが募ったから。先住民と白人の間には不信感が横たわり、厳然とした差別があるのだが、どちらかが警察に引き渡される決断のシーンで、それを乗り越えていく２人の姿に心を動かされる。

激しい雨が叩き付けるマカオ。何者かに自宅を襲撃されたアイリーンは、夫と子供たちを失い、ひとり生き残った。フランスから到着したコステロは、重体の愛娘を前に犯人への復讐を決意。偶然すれ違った殺し屋３人組に仕事を依頼し、4人は香港へ。レストランのオーナーだというコステロには秘密があった……。香港ノワールの旗手ジョニー・トーによる『ザ・ミッション 非情の掟』『エグザイル／絆』に続く３部作の完結編。スタイリッシュな映像とほろりとさせるヒューマンドラマ、おなじみの役者陣が演じる男の美学はこってり濃厚。香港映画はこうでなくっちゃ。

ピューリッツァー賞受賞小説の映画化。著者は『ノーカントリー』の原作者でもある。理由は描かれないが、突然やってきた世界の終り。破壊された絶望的な世界で人はどう生きるか…。名も無き父と息子は、生きるために、とにかく南へと歩く。そこには海がある。海へ行けば生き延びられるかもしれないという微かな望み。極限の状態でも、人は「善く」生きなければならないと息子に諭す父をヴィゴ・モーテンセンは静かに熱演。父にひたすらついて行く息子役コディ・スミット＝マクフィがたくましく、切ない。グレイッシュトーンで描かれる“破壊美”も見応えあり。

だいぶ前になるけれど、ユニークな人がいるよと紹介され、もらった名刺には「さすがわささめ」と書かれていた。バーや飲み屋などを中心に演劇公演のポスターを貼ることを生業とするこの人はいったい何者？　その謎は本書の中に。ポスターハリス・カンパニー代表でテラヤマ・ワールド代表の笹目浩之が著した自伝である。天井桟敷との出会い、ポスターを貼り始めて会社を興した経緯、今に至る道のりが気取らない言葉でゆるやかに綴られている。人との縁は大切に、時には開き直って、やりたいことを真摯にやり続けることが大事という人生論は、悩める若い世代にもおすすめ。

よろず問題処理を���業としているチンピラのサンフンは、誰彼かまわず暴力をふるう怖いもの知らず。ある日、路上で吐いたツバが勝ち気な女子高生ヨニにかかり、殴り合いに。その後たびたび会うようになった２人は互いに安らぎを見出し、なにかが変わり始めたが……。韓国インディー映画の名脇役として活躍してきたヤン・イクチュンが長編監督デビュー。自身がずっと抱えてきた家族との確執がモチーフで、主演も務めた入魂の作品。東京フィルメックス初のグランプリ＆観客賞ダブル受賞ほか、世界各国で25以上の賞を獲得という快挙を成し遂げた。奇才のデビューを見届けて。

ジャッキー･チェン扮するCIA諜報員は隣家のシングルマザーと恋愛中。彼女の留守中、子供たちの世話を頼まれたはいいが、敵はその子供たちを狙いにくる。見事な殺陣で悪から守るジャッキーの勇姿を子供たちの視線から描く本作は、誰もが夢見る「映画の中に入ってジャッキーに助けられる」疑似体験でもある。『ナポレオン・ソロ』『それ行けスマート』的60年代テイストも盛り込まれ、『007 ロシアより愛をこめて』と同じタチアナという名のロシアの女スパイの劇画チックな演技も秀逸。セルフパロディ多数なのは、ジャッキーのハリウッド進出30周年記念作品ゆえ。なれど小品、なれど佳作。

ノスタルジックな立体造形力と高度な特殊映像の技術を持つアンマサコ。処女作となる絵本は、劇場から飛びだしたような躍動感に溢れている。舞台は、まちはずれにある靴の修理屋さん。傷つき、ぼろぼろの靴たちが過ぎ去った日々を夢みる中、使い古されたタップシューズのタップにはどうしても夢が描けない。修理を終えたタップが抱いた夢とは。児童向けとはいえ、大人になってからわかる困難さや、夢や希望が持つ力の意味を内包している。人間関係のもどかしさや、心が折れそうになった時、一生懸命だけどちょっぴりユーモラスな靴たちに逢いたくなる。

名前を見れば一目瞭然、父が根っからのボクシングファンという李闘士男監督の真骨頂。百田尚樹の同名小説を、緩急自在に使い分け、歯切れのよいテンポで映画化した。性格も、学校の成績も正反対の幼なじみのカブとユウキが、高校のボクシング部で切磋琢磨しながら成長していく物語。市原隼人と高良健吾のますます冴えわたる演技力と、とにかく熱く真っすぐな眼差しがまぶしい！　カブに惚れたマネージャ丸野（谷村美月）はクールだが、甘い恋がはじまるか…と思ったら、切ない伏線が張られてた。迫真の試合シーンは吹き替えなし。あんまりスカッとして家まで走りそう？

借金苦で絶望し、漢江に飛び込んだ男が川の中の無人島に漂着。自給自足の生活を始めた男の孤軍奮闘ぶりを、望遠鏡でじっと観察している女。３年も自室に引きこもりの彼女は男に興味を持ち、未知との遭遇を試みる……。原題は『キム氏漂流記』。都会の孤独に押し流された２人の漂流者、Mr.キムとMs.キムが邂逅するという、なんとも奇想天外、摩訶不思議なラブロマンス。どうしてもチャジャンミョンが食べたくなった男が、気が遠くなるような時間をかけて自力で作り出す、その過程に感涙。野人のように変貌し、ワイルドな魅力が炸裂する、チョン・ジェヨンの熱すぎる演技が見ものです。

1966年に実際に起きた放火殺人事件で、元ボクサーの袴田巌（新井浩文）に対し、熊本典道（萩原聖人）ほか２人の判事は死刑判決を下した。しかし40年後、判事を辞していた熊本が「判決は間違っていた」と衝撃告白、世間を驚かせた。その苦悩とは…。時間を溯り、事件の真相と取り調べの実態を、高橋伴明監督の巧みな演出によって再現。事実が明らかになるにつれ、憤りが止まなくなる。冤罪をなくすにはどうしたらいいのか？　裁判員制度がはじまり、「裁く」ことの意味と重さを考えるとき。萩原と新井の鬼気迫る演技と、運命のようにふたりが出逢うシーンが心に残る。

1987年のハーレム。父親のレイプで２度も妊娠し、漫然と生きていた16歳のプレシャスは、転校したフリースクールで学ぶ喜びと生きる幸せを見出していく……。原作は詩人サファイアの小説『PUSH』。まずはガボちゃんの強烈な存在感に圧倒される。娘を心身ともに虐待しつくす母親役モニークの怪演もすさまじい。貧困、暴力、虐待、無知無学など、これでもかと底辺の悲惨さてんこもり。“かわいい人、愛しい人”を意味する名前が皮肉なほど過酷だが、コミカルなシーンも盛り込んだ描き方に救われる。プレシャスの未来が輝くようにと祈らずにいられない。

間瀬垣勤（カンニング竹山）は、全然冴えないタクシー運転手。ワケあって教職を辞めていた。そんな彼が、存在感のある不思議な猫「御子神さん」と出逢った日から何かが変わりだす。家族を含め、人とのコミュニケーションに悩む勤だったが、会社に内緒で猫を乗せて乗務し、売上げがトップに躍進。同僚たちには怪しまれ、保健所の反対にも合い、“ふたり”は大ピンチ。しかし勤は、この猫のために猛然と立ち向かう…。最近「やる気」不足で悩んでる人はここにヒントがあるのかも。心の底からワクワクすると、苦労も苦労でなくなっていく。猫の表情がありえないくらいイケてる。

かつてはボリショイ交響楽団の天才指揮者だったが、ユダヤ人団員をかばって失脚し、いまは劇場の一清掃員となってしまったロシア人アンドレイ（アレクセイ・グシュコブ）。ある日、楽団への公演依頼のFAXを目にし、無謀過ぎる計画を思いつく。すっかり音楽から遠ざかっている元楽団員たちを探し出し、本物の楽団に成りすましてパリで公演をしようなどと…。格調高いクラシック音楽と、たくましく土の匂いのするエネルギッシュな大衆音楽がミックスされて、人間ドラマを熱く奏でる。クライマックスの交響曲演奏シーンは圧巻。身体の芯から熱くなる！

映像と音楽で世界の人々を魅了するアーティスト、高木正勝。2008年に開催されたコンサート『Tai Rei Tei Rio（タイ・レイ・タイ・リオ）』を軸とする本作は、コンサートのために曲を作り、コンサート音源をCDにするというプロジェクト全体を映像ディレクターの友久陽志が追いかけたドキュメンタリー。ライブやインタビュー、打ち合わせ風景などが織り込まれ、なぜ音楽が生まれたのかという、根源的な問いの答えの一端が見え隠れする。未公開映像を収録した特典映像、初回生産限定封入の「文庫本カバー」はファンには垂涎もの。

両親のリコンを受け入れられないパリ在住のユキ（10歳）は、フランス人の父と日本人の母の間で心を揺らす。しかも、親友のニナと離れて遠い日本に住むなんて…。俳優イポリット・ジラルドとの初の共同監督に挑んだ諏訪敦彦監督。撮影や演出方法の違いなど、共同作業の様々な“試練”を楽しみながら「ユキと一緒に成長できた」と、満足のいく仕上がりに。これが初の芝居となる主演のノエ・サンピには不思議な存在感が宿り、彼女の逞しさと可憐さに引き込まれるように、観客も森のなかをつき進む。即興が持ち味の諏訪演出に、ジラルドはどんな化学変化をおこすのか？

危機的な状況にさらされているサンゴを養殖し、それを海に移植するという世界初の試みに成功したユニークな沖縄の夫婦の話。李闘士男監督は彼らの話を聞いてすぐに映画化を決意したという。ピュアで一途な男、金城健司を岡村隆史がまっすぐに演じ、その切ない表情が心の奥をくすぐる。健気でしっかり者の妻に松雪泰子。漁業組合のイナセな親分を國村隼。さらに肝の座った母親を原田美枝子が演じ、試練に立ち向かう健司を脇で支える。さて、サンゴ産卵のミラクルな瞬間は訪れるか…。信じる道を生きる夫婦を、cobaのアコーディオンと山下達郎の声がやさしく包みこむ。

幻の名画の修復を巡る、騙し騙され物語。流行りの細かいカット割でスタイリッシュなテンポを出している一方、主人公のイケメン修復師、美術界を牛耳る悪女、それを追う美人刑事らを演ずる各役者に思い入れを持たぬ外国人が観ると「作品を最優先に考えている箇所」と「ファ���以外には不要な箇所」も見えてくる。エンディングのロック・ナンバーも含め、目先のタイアップでなく作品にとって何がベストかを判断基準にすることこそが世界市場進出において一層重要となっていくだろう。そんなことまでつらつら感じさせられてしまう１本。

男女４人がルームシェアするマンションに１人の青年が加わる。同時期に近所で頻発する連続暴行事件……。ミステリー調に進む物語は、役者たちの演技力で観客を引き込む。フルネームさえ知らない友だちをプリクラ帳に貼りまくった彼らの世代にとって、表層的な付き合いこそ人間関係の大前提である。知人のブログに儀礼的な感想を書き込むのは「読んでいることを伝えるため」、おざなりの笑い声は「敵意の無さを示すため」。そんな関係性を空虚だ闇だと呈示するさまは何を今更の観あり。原作が７年前の小説と知り納得するも、映画人が今提示すべきはその先であるはずだ。